2014年08月31日

8月に考えたこと

毎年めぐってくる八月ですが、今年はいろいろと考えさせてもらいました。
特に8月15日についてです

昨年まで、考えないことはありませんでしたが、今年は時間がありました。

例年ですと、ちょうどこの時期開催される、熊本県水俣市での桜ヶ丘観音の大祭に瀬戸から参加しており、何かと気ぜわしい日々を送っていました。
それが今年はゆっくりと夏休みをとることができました。

水俣市の桜ヶ丘観音というのは、会社が水俣市に買い求めた工場用地の中で発見された朽ちた観音堂を復興したところから大祭が始まりました。
もう、30年以上になります。

始まった当初は地元の奉賛会の皆さんが準備など手分けをして行われていました。
しかし、年を経るとともに会員さんの年齢も高くなり、当社の水俣工場の人が手伝うようになりました。
そんなご縁があって、瀬戸からも参加するようになりました。

今年は私の地域の祭り(本地地蔵祭り)と重なったことや、15日に愛知懸護國神社に参拝することにしたこともあり、水俣へは行きませんでした。

終戦の日のことについて、ポツダム宣言受け入れの検討、原爆の投下、天皇陛下のお言葉、そしてGHQとのやり取りなど、大東亜戦争終結へのストーリーを勉強させてもらいました。

それは、8月20日に予定されていたモーニングセミナーでの準備とも重なりました。

改めて勉強して思ったことは、「真実はどうであったか?」というあくなき追求心を持つべきだということです。
そして同時に、この大切な歴史の数年間のことについて教育を受けていないことは実に不幸であるということです。

1945年、終戦を機に大きな変化が起き、経済的発展にまっしぐらに進んだ日本ですが、終戦より前の歴史や伝統文化を否定しまったことがとても問題だったと言えます。
今になってそれに気が付いたんじゃないかと思っています。

もう一度、戦争を起こしたり巻き込まれないためにも、先の大戦をキチンと総括し、それを国家としての共通認識として内外にはっきりと示すべきだと思います。

来年は、終戦70年の年です。
近隣国との歴史認識の違いはあると思います。
だからと言って、意志表示をしなければ「相手国の主張」が国際社会では通論となってしまうでしょう。それでは困ります。
日本も主張すべきだと思います。

それにしての日本の新聞にはいささか呆れています。

posted by 伊藤やすのり at 08:44| Comment(0) | やすのり日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月30日

奉仕の心

昨日名古屋にてロータリークラブの勉強会があり、出席しました。
「会議」という名称がついていましたが、内容は「職業奉仕」に関する勉強の会で、私自身初めて知ったことも多く、意義ある時間でした。

さて、この「職業奉仕」という言葉ですが、ロータリーの関係者以外ではめったに聞かない言葉だと思います。
よく知られている言葉に「社会奉仕」がありますが、それとは違います。
その昔「勤労奉仕」という言葉がありました。
いわゆる「無償で働く」ということです。

これもよく「ボランティアと同じでは?」という人がいますが私は少し違うと思ってます。

「勤労奉仕」は、属する地域の一人として加わる責任があるものだと受け止めています。
ですから、「自主的に・・・」といわれるボランティアとは違うんじゃないでしょうか。

ロータリークラブでは、「職業奉仕」というのは、《「奉仕の心」をもって職業に努めること》と教えてもらってます。
今ついている職業(仕事)を通し、お客様の満足を更に高めるよう懸命に努めること、と言えるかと思います。

働くことの目的を考えるとき、「日々の生活の糧を得る」という人もあれば、「社会や人が喜んでもらう」、という人もあります。
「奉仕の心」というのは、後者の「社会や人に喜んでもらう」、ということだと言えます。

つまり、自分の利益のためにだけに働くのではなく、社会や人に喜んでもらい、そこから自分にも利益がもたらされるというように理解をしました。
でも、なかなか実行することは難しいと思います。

成功されている経営者は、事業の発展と共にこうした考え方がより強くなっていった人のようです。

昨日の勉強会は、愛知県下の全てのロータリークラブから「職業奉仕委員長」が参加しました。

グループディスカッションの時間がありましたが、他のクラブの様子を聞くのはとても勉強になります。

クラブでは親睦活動が重視されていますが、改めて感じたのは「職業奉仕を実践していく上での親睦はどうあるべきか?」ということです。

先輩の方々は、例会をはじめ、行われる諸活動の中からいろんなことを学び取られ、参考にされたんだと思います。
要は自分自身の心がけ次第だということです。

「奉仕の心」を育てていかねばならないと思いました。
それと共に、今学んでいる「倫理経営」と同じだということが確認できました。

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2014年08月29日

災害の予兆

広島市の土砂災害では連日必死の作業が続けられています。
にもも関わらず、いまだ行方のわからない人が10人みえるということで、一刻も早く見つかることを祈るばかりです。

こうした情報に接し、いくつかの教訓を得たはずなのに時の経過とともに気持ちが薄れてしまうものです。

やはり、現実的に日々の生活に結びつかず、「想定外」とか、「自然の猛威」とか言ってなかなか防災対策に反映できていないのが実情のような気がします。

私は、今回の広島市土砂災害は、日本のどこでも起こりうるような災害だったように思います。
ですから、自分の住む地域の地形や過去の開発状況なども気になりました。
更には、瀬戸市全体の「土砂災害警戒区域」を新聞記事で知り、びっくりしました。

近隣市町での指定されている警戒区域が1〜15カ所であるのに、瀬戸市では257カ所もあります。
(日進市15カ所、長久手市5カ所、尾張旭市と豊明市が各1カ所です。)

この記事の中で、昭和32年に発生した土砂災害で、母親と生まれたばかりの弟さんをなくした方の生活ぶりが紹介されていました。
そして次のように話されています。
「多くの人は災害が身に降りかかってから気を付けるが、それでは遅い。
土のにおいなどの変化に気を付け、素早く非難することが大事だ」と。

私のこの話の中で、「土のにおい」ということが気になりました。

この気になっていたことを昨日のNHKテレビがスッキリさせてくれました。
「情報まるごと」という番組だったと思いますが、広島土砂災害で被災された人何人かにインタビューをしていました。

「ガスのようなにおいがした。おかしいなあと思ったが間もなく家に水が入ってきた。」
「今までにないにおいがした。」
そして、そのにおいというのは、土中の石と石が激しくぶつかって発生するものだということを専門家が説明していました。

つまり、災害には必ず予兆があるということです。
そしてそれは、日ごろから自然をよく知り、「いつもと違う」ことを感じたり、見つけたりすることで知ることができるんじゃないでしょうか。

これこそ、日々の備えの究極です。

文明の利器は便利です。
でも、それに頼りすぎるのは危険です。
人間の持っている素晴らしい感性を働かせるべきです。

季節の移り変わりを感じること。

こうした感性を磨き、高めることも防災力を高めることに通じるのではないでしょうか。
posted by 伊藤やすのり at 06:55| Comment(1) | やすのり日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月28日

クリーン大作戦

今朝7時30分から、名鉄瀬戸線尾張瀬戸駅周辺でゴミ拾い、雑草取りのクリーン大作戦が行われました。

所属する倫理法人会でも、社会に役立つことで、できることから実践しようという機運が高まってきており、14〜5名の参加があったようです。
私は木曜日の午前7時20分からのラジオ放送「朝のいい話」への出演があり、終了次第参加させてもらいました。

この催し、数年前から行われるように思いますが、9月の第二土曜、日曜日に予定されている「せともの祭り」を前に、メイン会場となる駅前周辺をきれいにしようというものです。

放送スタジオから参加者の皆さんを見ることができましたが、小学生高学年や中学生の生徒さんも数多く参加していました。

放送のはじめにいつもよもやま話をしますが、今朝は、このクリーン大作戦に参加している子供たちのことについて話しました。
参加した動機はいろいろあると思います。
イヤイヤ参加している子もいるでしょう。
でも、彼らはそのことが素晴らしいことだということに気が付くでしょう。

あいにく雨が降り出しました。
大人は準備よろしく、雨合羽や傘を用意してきてますが、子供らはほとんど用意をしてきていません。

それでも、雨を避けながらゴミ拾いをしたり、植込みに生えている雑草を抜いたりしています。

この体験が素晴らしいと思えるのは終わる頃です。

関係者はもとより、周りの大人たちから声をかけられます。
「ずぶ濡れになって頑張ったねえ。ご苦労さんでした。」
「たくさん拾いましたねえ。凄いですねえ。」
「頭、よく拭いておかないよ風邪ひくよ。ご苦労さんでした。」

いろいろな言葉があるでしょうが、「感謝と労い」のことばです。

こういう言葉をシャワーのように浴びた子供らが、何を感じ、どんなことを考えるんでしょうか。

ともすれば、家で何かのお手伝いを頼まれ、引き受ける代わりに小遣いをねだることが少なくありません。

そういうことも時にいいとは思いますが、周りの人を喜ばす、傍(はた)の人を楽にするのが「はたらく」といわれます。
人が喜んでくれる、社会に役立っている、こんな気持ちを少しでいいから感じてくれたなら、街がきれいになったという以上に大きな効果があったといえるでしょう。

こんな話をさせていただきました。

今年も雨という天候にもかかわらず、多くの人が参加したようです。
私もわずかながら参加しました。

参加者からねぎらいの言葉をたくさんいただきました。
朝早くから、ひと様が喜んでくれることができ、うれしい気持ちになりました。

posted by 伊藤やすのり at 13:46| Comment(0) | やすのり日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月27日

移動販売車

昨日の夕方、テレビで「移動販売車」の紹介をしていました。
今や、さほど珍しくはありませんが、つい見入ってしまいました。

一つは、「移動販売車」というのは一匹狼で活動していると思いきや、グループで新しい活動を展開しているところがあるようです。
公園とかグランド、あるいは大きな駐車場を利用してのイベントで、広場を囲むように販売車が設置され、今までとは違うくつろぎ空間を提供するというものでした。

夏祭りなどで、中央のイベントステージを囲むように、バザーのテントや屋台が並ぶのと同じようなものですが、「売るもの」が違います。
それぞれに特徴ある食べ物ばかりでした。

恐らく土日の休日にだけグループに属し、イベント会場で商売をされているだろうと思います。

移動販売車が十数台集まるだけでも話題性があり、集客効果はきっと大きいと思われます。
ちょっとしたアイディアです。

昔の人力で移動する屋台に比べ、移動は抜群に広くなったと思いますし、自前の電気エネルギーを使うことができビジネス機会はうんと広くなったと思います。

テレビでは、個人の移動販売車についても紹介していました。
「移動販売車の数だけドラマがある」、といっていましたが、その通りです。

いろいろな背景や事情からはじめられたようですが、「売りもの」「売りかた」にはそれぞれ強い思いを感じました。
共通していたのは「私(達)だけにしかできないこと」にこだわっていました。

素晴らしい起業精神だと思います。

想像ながら、「食べ物の移動販売」に関しては、法的規制がたくさんあるように思います。
でも、それを乗り越え「やってみたい!」という人がいれば応援したくなりました。

わが町瀬戸市でも私が知っている範囲で「1車」あります。
「瀬戸焼そばの八方招き」さんです。

市内にはお店があるので車で販売されるのは少しはなれたところでのイベント会場が中心のようです。

いろんな会場で見かけますが、「いいなあ・・・」と思ってます。

東京ではオフィス街のお昼時に、多くの移動販売車が集まってきて、お弁当をはじめ飲み物などを販売しています。

瀬戸市では市内散策を進めているものの、手洗い、飲食、休憩の施設(設備)が進んでいません。
移動販売車の本格的導入を考えたら、いくつかの課題を解決することになると思います。

移動販売車で食べ物や飲み物を調達し、屋外で食べることに抵抗を持つ人はほとんどいなくなった現代、真剣に取り組んでも面白い施策のような気がします。
posted by 伊藤やすのり at 11:39| Comment(0) | やすのり日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月26日

年の差

企業経営の一線にいるとき、数多くの会合に出席していました。
会議が続き、まるで会議をすることが仕事のように感じた時もありました。

ただその当時の会議は、きちんと準備され手際よく説明もあり、一つ二つの質問の後意思決定をしていました。時に激しい議論もしましたが、通常は淡々と進んでいきました。
裏方の経験もありますが、それは大変でした。

現在は、会社の仕事も少ししていますが、多くは個人的な活動です。
これが結構忙しいんです。

なぜかといえば、いろんな会合で一つ事を決定するのに多くの時間を要するからです。
企業人の頃、会議は「問題解決の検討」「提案の吟味、決定」、それに報告を受けたり伝達をしたりするためのもの、と決まっていました。

でも、社会一般では「企業のいう合理性」は時として非常識とさえ言われます。

そんな体験もしながら活動していますが、2年前にNPOを立ち上げてから、定期的に会合を持つようになりました。
原則は毎月一回の運営会議です。
出席者は10人前後ですが、このメンバーの年齢差がなんと40才もあります。
明らかに価値観が違います。

年齢は大きく違いますが、立場はまったく対等です。
ですから個人の価値観が余計に色濃く出ます。

発足した当時は戸惑いました。
私が進行役を務めていますが、議論が紛糾することしばしばありました。

まずは発言を整理しました。
「彼の発言を、最後までしっかり聞こうよ。」
そして、話を聞いてのちの発言は、「質問ですか?それとも意見ですか?」
これをやることにより少しスムーズになりました。

むつかしいと思うのは、それぞれが「その目的を達成するにもっと大切なこと」だと考えての発言だと理解できるからです。
Aという意見とBという意見を二つ足して二で割る、というようなことはできません。
結局は時間をかけて調整することになります。

一年くらい経った頃、一つの傾向が見えてきました。

「ある催しを何とか成功させたい」ということで、その方法を議論する場合、若手は総じて「盛り上げて、我々も楽しもう!」という「ノリ」で意見を出します。いうなれば挑戦的です。

一方高年者は、「失敗しないように・・・」という保守的な発想から意見が出ます。

双方、どちらがいいか悪いかというものではありません。
両方とも必要なんです。

メンバー間の年の差をどう見るかです。
「価値観を合わせるための調整が大変だ。」
こう思ったとたんチーム力が低下していくんじゃないでしょうか。

調整ということは、意識を下げながら合意点を見つけ出すようなもので、テンションは下がりっぱなしです。

むしろ、相手の異なった意見を「どこに取り入れる」かを考えた方が前向きです。

そんなことから思うようになりました。

大きい年の差というのは、チームにとっては強みである・・・と。
posted by 伊藤やすのり at 09:55| Comment(0) | やすのり日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月25日

今日は何の日

ウエブ上に「今日は何の日」というサイトがあり、時々見ています。

ブログネタにもってこいですが、どうもそのことだけを書き込んでもあんまりおもしろくなく、いつもチラッと見る程度です。
今朝もそのつもりで覗いてみました。

サイトでは、「今日は何の記念日」とか「歴史上何があったのか?」などのカテゴリーに分かれていますが、私が見るのはこの二つだけです。

何気なく見ているんですが、やはり「何か気になっている」ことがあるんですねえ。
今日が何の日とか、過去の今日(8月25日)に何があったのか見ていて、一つのことにつながることがあります。今日それがあったので、紹介します。

まずは、「今日は何の日」ですが、1958年8月25日日清食品から即席めん「チキンラーメン」が発売された日だそうです。
1958年は昭和33年のことです。
今でこそ手軽でしかも安いことで日本の国民食ともいえますが、当時は他の食品に比べ高かったようです。

他にも記事はありましたが、一番目に着いたことが「インスタントラーメン」のことでした。

そして今度は「歴史」というカテゴリーを見てみました。

一番最初にあった「事件」に驚きました。

随分昔のことです。
記事によれば、1498年8月25日東海道沖を震源とする地震が発生。M8.6という大地震で大津波が発生、これにより浜名湖が外海とつながったようです。
(これは旧暦の8月25日のようで、新暦では9月11日になります。)

500年も前のことです。
どう考えるのかいろいろですが、3年前の東日本大震災、発生の可能性が極めて高いといわれる南海トラフの地震と津波のことが頭をよぎりました。

すると、即席めんも「非常食」で繋がっていきました。

だからどうなんだ、と言われそうですが、こうした過去のことを見て現在の暮らしの知恵として生かすことが大切だと思います。
昔から二百十日は、台風が来るといわれてます。
春分の日から数えて二百十日、今年は9月の1日です。
そしてこの日は防災の日です。

8月25日、「今日は何の日」を見ながら、自然災害のことを考えました。

現在広島では、夜を徹して必死な捜索活動が行われています。
亡くなられた方50人、まだ行方のわからない人が40人近くおみえになるとのことです。

また、被災された方々が普段の生活に戻れるのには相当な期間がかかりそうです。

いつ当事者になるかもわかりません。
できるだけの準備をしておくべきだと思います。

今日は防災について、特に強く感じさせてもらいました。

posted by 伊藤やすのり at 10:10| Comment(0) | やすのり日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月24日

お寺の役割

昨日は本地の地蔵祭りでした。
このお祭りは、雨に降られることでも有名ですが、昨日は朝から断続的な雨でした。

朝7時ころから強めの雨。
豪雨ちょっと手前くらいでしたが、9時半頃には明るくなりほどなく上がりました。

私は十時半からの講演会に参加するため出かけましたが、この頃暑い日差しが戻ってきてました。
この分なら夕方からの祭りも盛り上がるだろうと思っていました。
ところが午後2時過ぎからまた降り出しました。
今度は弱い雨でした。

祭りの最終準備の頃で、皆さん「中止の指示が出るかもしれない・・・」という思いの中で作業をされていたと思います。
思いが通じてか、4時半頃に雨があがりました。

この調子で8時半頃までもってほしい。
誰もがそう思ったでしょうが、無情にも祭り開始の6時過ぎから降り出しました。
そしてその雨の中、予定されていたすべての行事が行われました。

私が会場の宝生寺に伺ったのは7時ちょうどの頃でした。
傘をさして盆踊りなどを見物しましたが、それなりの人出がありましたが例年に比べたら少なかったです。

7時半から始まった花火が終わる頃、宝生寺のご住職に声をかけられ、そのまま部屋に案内されました。
そこは普段、お寺への訪問客を通される応接間のようなところです。
今日は、お寺さんの親戚とか関係者のおもてなしの間でした。

なんとそこで、ご住職からお酒や食事のもてなしを受けることになりました。
何せ初めてのことであり、最初は戸惑いましたが、結果1時間も居座ってしまいました。

ご住職が上機嫌であったこともありますが、お酒もすすみ、話も大盛り上がりになりました。

そんな中で、「お寺の役割」という話がありました。

「宝生寺の起源、創建と今までの変遷」
「寺院の経営、運営と地域の人たち支援」
「寺院に求められていること」
などの説明の後、これからのお寺の在り方、地域のお寺としてやるべきことなど熱く語ってもらいました。

もっと、「お寺を使ってほしい」という思いがよく伝わってきました。

ふと思ったことがありました。

やはり「勉強の場」としての役割があるのではないかということです。

勉強と言えば、生活の糧を得るのに必要な「知識・技術」の習得をすぐに思います。
でももっと重要なことは、「いかに生きるか」ということを学ぶことではないでしょうか。
学校教育で、長いこと注目されなかった分野です。

住んでる地域の歴史を知る。
日本の伝統文化をはじめ、地域の古き良き慣習をしる。
先人の知恵や考え方をしる。

こうしたことを学ぶについて、寺院建築という空間はとても適していると思います。

地域文化教室のようなものが、「21世紀の寺小屋」かもしれません。
posted by 伊藤やすのり at 07:36| Comment(0) | やすのり日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月23日

本地地蔵祭り

今日、8月23日は本地の地蔵祭りです。
宝生寺に祀られています延命地蔵さんのお祭りです。

地域では、通称「お地蔵さん」といわれていますが、いつの頃からか「雨降り地蔵」とも言われ、この日は雨に見舞われることがしばしばです。

今年も雨模様です。
朝から雷鳴が響き、激しく降っています。

さて、このあたりの夏祭りとしては一番遅い時期に開かれますが、昔から多くの人出でにぎわいます。

一番よく覚えているのは十代の頃です。
地域には「青年団」という組織があり、15歳で入団します。
最初の頃は使い走りが仕事ですが、十八、九になると担当する仕事ができます。

この地蔵祭りでも大忙しでした。
盆踊りの練習、大行燈の制作など青年団ならではの仕事でした。
昔の祭りは地域挙げてのもので、老若男女何か役割があったものです。

今は青年団という組織はなく、奉賛会が中心となって諸準備に当たってもらってます。

祭は神事と奉納行事で構成されていますが、花火大会もあります。

「花火大会」というと、その規模を競い夏の一大イベントとして各地で開催されます。
1990年代、バブル経済崩壊後の景気低迷期には、花火協賛社が減り大会そのものが存続できないところも出たようです。

本地地蔵祭りの花火は、他の大会とは比べもになりません。
でも、「奉納行事」の一つとして続いています。
昭和30年代にはじまったようなので、5〜60年続いていることになります。

特に珍しいのは「個人の花火奉納者」が多いということです。

祭の一週間くらい前に花火プログラムが配布されますが、そこには「奉納者の名前とメッセージ」が記載されています。
多くは、「ご先祖様の供養」ですが、「赤ちゃんの誕生」「家族の健康」などもあります。
思うのは、「感謝の言葉」が一杯です。

とても素晴らしいことだと思っています。

個人の奉納花火を、もっともっと増やしたいと思っています。

ブログを書いているうちに雨が上がり、明るくなってきました。
雷鳴も聞こえますがずいぶん遠ざかりました。

夕方までには、濡れた地面も乾くことでしょう。

posted by 伊藤やすのり at 09:17| Comment(0) | やすのり日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月22日

困ったことです

昨日の新聞に、「困ったこと」が報じられていました。

中日新聞の朝刊、「賭博依存疑い500万人」・厚労省「日本は高率」と警告。
そして今朝(8月22日)の産経新聞一面にも「ギャンブル依存症・国内に500万人超」という見出しがありました。

記事の内容は、共に厚生労働省研究班(樋口進・国立病院機構久里浜医療センター院長)からの報告が元にあるので同じようなものであった。

中日、産経の記事の違いは、「扱いの重要度」(中日は3面であるが、産経は1面)ですが、もう一つ「ギャンブル依存症」という言葉の使い方です。

両紙ともに記事の書き出しは、
《ギャンブルに対する気持ちが抑えられない「ギャンブル依存症」の疑いのある人が、国内に500万人以上いる・・・》と、全く同じです。
でも見出しは違います。

中日の見出しは「賭博依存」という言葉を使い、産経は「ギャンブル依存」としています。
産経はおまけに「ギャンブル依存症」の言葉解説まで掲載していました。

大きな意味はないかもしれませんが、いささか引っかかりました。

さて、ギャンブル依存症が日本では500万人以上いるという推計には、驚きました。
問題なのは、その多さです。

ギャンブル依存症の人はどんな時代にも、どの国でもいるとは思います。
でも、世界のほとんどの国では成人の1%程度なのに、日本は約5%で非常に高い割合だそうです。

いろいろな原因が考えられるようですがが、日本では「パチンコやパチスロが身近な場所に普及している」ことが一番の原因のようです。

私も二十代の頃、時間調整のためにふらりと入り2〜30分楽しんだことがあります。
三十代になった頃からはパチンコをした記憶はありません。

私自身はあまり好きにはなれませんでした。

ですから少し冷めた目で見てますが、「依存症」というのは問題は、日本の病んでる側面の一つではないでしょうか。

楽しんでいる人の方が圧倒的に多いんでしょうが、依存症が500万人いるというのは問題だと思います。

この「警告」を、ギャンブルを根本的に考えるキッカケにしてもらいたいものです。
posted by 伊藤やすのり at 07:35| Comment(0) | やすのり日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月21日

朝のイイはなし

5月22日木曜日から、地元FM局ラジオサンキューの朝の番組に出ています。
午前7時20分から20分間のトーク番組です。

瀬戸のいいところの紹介や、拍手を贈りたくなるような活動などを紹介しています。

放送は全て生放送で、スタジオにはパーソナリティーの高橋ひろ子さんがいますが発言はほとんどありません。私のしゃべりに相槌を打ったり、簡単な質問をいただいています。

今朝で、14回目となりました。

前回と今回で、私の知り合いの活動を紹介しました。

瀬戸市内に30ヶ所ほどの「児童遊園地」があります。
昔は毎日子供の声が聞かれたようですが、最近は子供の姿は見かけなくなり、丁度いまどきは雑草が生い茂り益々人が寄り付かなくなっているところも多いようです。

そうした児童遊園の草取りとか清掃をやろうというのです。

でも、地域の皆さんに呼びかけても「いいよ、やりましょう!」というわけにはいきません。

そこで、仲間はたった一人で草取りを始めました。
どれくらいの時間が必要なのか、どんな道具があれば便利なのかを知るために始めました。
7月の土日午前中を使っての草取りでしたが、始めてみると、地域の方が一人二人と寄ってきて手伝ってもらえたようです。

私も二日目の午前中に行きましたが、そんな話を聞かせてもらいました。

さらには、今後の維持管理について町内で話し合いを始められたとも聞きました。
私は率直に「イイはなし」だと思い、番組で取り上げました。

この話にはもう一つおまけがありました。

この深川児童遊園には、「陶祖の家があったという石碑」が立てられています。
二年ほど前から瀬戸市では「陶祖八百年祭」が開催されており、この地(石碑)ももっと注目されていいはずなのにほとんど知られておりません。

市内には100以上の文化財がありますが、ほとんどの市民が知りません。

これは実にもったいないことです。

そうしたことも番組「朝のいいはなし」で紹介するのもいいと思いお話しました。

ところが、放送を聞いて行こうとしたけれど、「場所がわからなかった」とか、「近所で聞いたんだけれど、知ってる人がいなかった」ということを聞きました。

何とかして瀬戸の財産を知ってもらい、広くアピールしたらいいと思います。

私も微力ながらお手伝いができたら、と思っています。

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2014年08月20日

海上自衛隊の活躍

今朝(8月20日)の瀬戸・旭倫理法人会モーニングセミナーは、私の当番でした。

2008年の2月から、毎月1回担当させてもらっていますが、話のネタが1年くらいで尽きてしまいました。そこで、毎月購読している『致知』という月刊誌の特集記事を参考に講話をすることにし、今日まで続いています。

『致知』8月号の特集は、「一刹那正念場」というものでした。
「その場その場で懸命に尽くせ・・・」という意味であり、ことの重要性を解説するより具体的事例をお話したほうがわかりやすいと考え、一つの記事を選びました。
それが、《海上自衛隊かく闘えり》という、元横須賀地方総監高嶋博視氏の記事です。

海上自衛隊が活躍されたのは、かの三陸沖を震源地とする巨大地震の発生直後から8月31日までの五ヶ月余に及ぶ救出活動やご遺体の収容活動でした。

そのことが述べられていましたが、随所で熱いものを感じる内容だったので、記事をコピーして配布をしました。

今までのセミナーではやったことはありません。
すべて、1枚のレジュメにして40分程度話してきました。
でも今回は、引用した記事をそのまま読んでもらったほうが特集テーマの「一刹那正念場」という意味がよく理解してもらえると考えました。

現場で勇気ある行動とともに、全隊員がそれぞれができることを考え、実行されたようです。

涙を誘うようなドラマが数え切れないほどあったようです。

その中からいくつか紹介されていましたが、感動しました。

例えば、被災者の入浴支援です。
簡易入浴装置を地上に設置するとともに、沖合いに停泊している艦艇の風呂も開放されました。
被災者が入浴中、持参してもらった洗濯物を洗う、乗員から集めた充電器で携帯電話の充電を行う、入浴後にジュースや軽食を提供するなど、さまざまなサービスに努められました。

現場での隊員の活動をこの目で見たわけではありません。
でも、想像に難しくありません。

この献身的な活動から、何を感じどんなことを学ぶか、です。

なんといっても「強い使命感」をもっていることが大切でしょうが、人を助け、人を救いながら、人の喜びを我が喜びとする、真の働きをされたことで、長期間の激務にも耐えられたんだと思います。

私の勉強する純粋倫理には、「喜働」ということばがあります。

モーニングセミナーの最後に毎回唱和する言葉があります。
《今日一日、朗らかに安らかに、喜んで進んで働きます》

仕事に取り組む姿勢として、一瞬たりとも気を抜くことなく、喜んで進んで働くことこそが自身の喜びになるというものです。

記事にあるような隊員の働きは、「喜働」の実践であり、その成果も抜群だと思います。
われわれは、自衛隊の活動をよく知り、その心構えを学ぶべきだと思いました。

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2014年08月19日

わかってるんですが

縁あって人材育成の手伝いをさせえていただくことになった会社で、昨日、第一回目の教育を行いました。
時間は朝礼の後の30分間。
これから何回か行うことになりますが、まずは5回程度を計画しました。

テーマは「5Sのステップアップ」です。
「5S」というのは「整理」「整頓」「清掃」「清潔」「しつけ」の5つのことですが、製造現場では基本中の基本と言われています。
現場が「整理整頓」されていて、掃除が行き届いてキレイならば、生み出される製品の品質の問題はないとまでいわれます。

作業者の人たちも、そのことの重要性は十分認識しておりよくわかっているんです。
そのはずなんですが、十分に実行されていないという現実があります。

できていないことを指摘されると、「できなかった理由」をいい、今後気を付けますで済んでしまいます。

あるいは、「頭ではわかってるんですが、なかなかねえ・・・」と、実行することに消極的な態度もみられます。

こういうことを何とかしたい、ということが研修の狙いです。

昨日、第一回を終え、経営陣と話をしていた時、社長から「目にしたゴミを、すぐに、サッと拾えるかどうかだ」、との発言がありました。。
育成の目指すところとして、好ましい人材像のひとつの側面を示したもらいました。
具体的で「わかりやすい表現」です。
(いただきです。)

「目にしたゴミを、すぐに、サッと拾う」

こういう行動がとれる人材が目指すところですが、現実は千差万別です。
考えてみました。

まずは、「落ちているゴミを認識できない人」
論外ですが、案外多いもんです。
つまり気が付かないんです。
恐らく視界には入っているでしょうが、ゴミだと認識できてないんです。「うわの空」というものです。

そこで、「落ちているゴミ」を認識すること、さらに推し進めて「ゴミを探す」という意識をつくる必要があると思います。

つぎに、「ゴミは目についたが、行動しない人」。
いろいろ理由があると思います。
「私の持ち場じゃない」「誰かがやるだろう」などです。

つまりそのゴミが自分にとって関係性が無い(もしくは低い)という認識ではないでしょうか。
自分との関係性があってもこういう人は「後でやる」とし、すぐに、サッとできないんです。

「わかってるんですが・・・」という人を、好ましい行動ができるようにするのはなかなか大変です。
でも、会社のためにも本人のためには必要なことです。

とてもやりがいがあります。

昔なら、そうするためにルールや仕組みを考えたもんですが、それらは最小限にすべきです。
やるべきは「人づくり」だと思います。

好ましい環境を維持し、さらに向上させることが「会社にとっても自分にとってもいいことである」、と強く心に思ってもらい、その行動を習慣化させることだと思います。

どんなふうに変わるか楽しみです。

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2014年08月18日

命を考える日

8月15日の産経新聞に、二面見開き、カラーでの対談記事が掲載されていました。
タイトルに、「命を考える。平和をつくる。」とありました。

対談は桐山靖雄氏(阿含宗、管長)と百田尚樹氏(作家)でした。

意外な組み合わせのようですが、「なるほど・・・」と思える対談だと思いました。

阿含宗の桐山氏は、私の友人が熱心に勉強していたこともあり、氏の著書を何冊か読ませていただきました。
内容はよく覚えていませんが、お名前だけはしっかり記憶にあります。

片や百田氏も、小説を通じて知っている程度です。
「海賊と呼ばれた男」を読んだ時には涙しました。

この対談記事を取り上げたのは、ここ1〜2年、「毎年の8月15日をどう考えるか」、ということを考えていたからです。
私自身は、「日本国を、深く静かに考える日」という風に考え、そうしてきました。

8月15日を「終戦記念日」とか、「終戦の日」といい、昭和20年に天皇陛下からポツダム宣言を受託し、戦争を終えることになりました。
その事実をもとに、現代の我々が何を考え、どう行動するかを心に決めるべきだと思うからです。

そういう気持ちがあったので、この対談記事に大きな興味を持ちました。

対談の結論は、『8月15日は命を考える日』というものでした。
人がもっています「寿命」という「命」も大切です。
「戦争の反省」「平和への思い」、それは、「命の大切さ」を考えることに他なりません。
でも、もう一つ考えなくてはいけない「命」(めい)があります。

対談での「命」とは、人が持って生まれた「使命」のことだと思いました。
そのキチンとした認識と、それを全うする努力の大切さを説いています。
同感です。

対談記事で、ポイントとなることが赤文字で表示してありました。

《8月15日を迎えて改めて考えたい。
私たちのために命を捧げた英霊に感謝し、その思いを、子孫に引き継いでいきたい。》

《他者のために自分の命を捧げる生き方は、日本人の心の底に眠っている。》

《先祖あっての私たち。
先人とのつながりをなくしては、日本人は日本人でなくなる。》

《生き残った者、生かされた者の使命を忘れてはならない。》

来年の8月15日は、戦後70年という節目になります。

英霊への感謝とともに、自らの行動を決断する時にしたいものです。

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2014年08月17日

生身魂(いきみたま)

昨日の産経新聞文化欄に、「あなたは生身魂?」という見出しがありました。
この「生身魂」を何と読むか?
「なまみだましい」かな?と思いながら記事を読み進めました。

記事は「モウーロクのススメ」(坪内稔典氏・俳人、佛教大学文学部教授)という欄で、興味深い文章で毎回楽しませてもらっています。

さて、「生見魂」とは、「いきみたま」と読むようで、調べてみましたら、今や「季語」(初秋)としてだけ生き残っている言葉だそうです。

「生身魂」というのはお盆の間の長老の呼称だそうで、昔はお盆の間、一族の長や職場の頭を「生身魂」と呼んだそうです
そして、ご馳走をしたり品物を送ったようです。

初めて聞く言葉であり調べてみると、いろいろ面白いことがわかりました。

《お盆では、先祖の御霊を迎えるとともに、一家の長老を生きた御霊として祀る。》

これは鎌倉時代の頃にはじまったようで、「生き盆」ともいうようです。
江戸時代になり、「生きた御霊に対し、蓮の葉にもち米飯を包み、刺し鯖を添えて贈ったり、物などを献じたそうです。
これが今の「お中元」になったといわれてます。

調べていくとわからないことが新たに現れることが少なくありません。

「刺し鯖」ってわかりますか?

知らないもんですからまたネットで検索です。

「刺し鯖」とは、
《鯖を背開きにして、二尾を頭のところで一刺しとした塩味の干物。江戸時代、盆の贈答品》とありました。

こんな風に、記事に出てくることを調べてますとなかなか先に進みません。

今回の内容は、この「生身魂」と呼ばれてみたいかどうか、という問いかけです。
その「生身魂」と呼ばれる資格があるか否や、そのチェック項目が10示してあり、述者の自己採点も示してありました。

年を重ね、自身の自己評価ができるということは大切です。
だんだんと独りよがりとなり、空気が読めない「老人」では、とても「生身魂」とは言えないでしょう。

10のチェック項目を紹介します。(各項目10点満点で平均点7点以上なら立派な「生身魂」だそうです。)
1、美貌
2、健康
3、知恵
4、財産
5、羞恥心
6、慈愛
7、感受性
8、ゆとり
9、意志
10、遊び心

「生身魂」と呼ばれる人は、聖人君子ではなく、なんとなく尊敬される人のことのようで、「マイナス面の評価項目」も示してありました。(こちらは〇か☓で評価、〇が少なければ少ない方がいいとのことです。)

「せっかち」「説教する」「独りよがり」「自慢する」「声が高い」「音を立てて食べる」「出しゃばる」「欲張り」「不潔」「くどい」

書いていて、この十項目すべて☓なんていう人はいるだろうかと思ってしまいました。

この十項目は、「生身魂」と呼ばれる人が、気を付けることなのかもしれません。
このことに気を付けて生きるというだけで、十分尊敬されると思いますが・・・。

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2014年08月16日

日本の八月

日本の八月というのは「特別な月」だと思うようになりました。
昔からある「お盆の行事」と、あの大東亜戦争終結のことがダブって見えます。

個人的な考えですが、「原爆の投下」と「終戦」がお盆と重なっているのが偶然だと思えません。

5〜6年前まではさほど考えなかったことです。
倫理の勉強を始めてから、両親や祖先の存在について強く意識するようになったり、日本の成り立ちに強い興味を持つようになりました。

日本の成り立ちは、神話時代にさかのぼりますが、もう少し現実的に考えますと明治維新以降、中でも国としての価値観が大きく変わった(変えさせられた)大戦の前後を知ることはとても大切だとおもいました。

こんな思いがあって日本の八月は特別だと思うようになりました。

そしてこのことは、ひそかに自分ひとりで勉強するというより、知ったことを自分なりに解釈し、機会を見つけ投げかけることで、もっと理解や学びが深まると思うようになりました。
そこで・・・
8月のモーニングセミナーで、少し時間をとって話そうと考えています。

モーニングセミナーは40分ほどの時間を頂いてます。
大きなテーマは「倫理経営の実践」ですが、毎月のサブテーマは人間学を扱う月刊誌の「特集記事」を取り上げています。
因みに、8月20日のテーマは『真剣に生きる』です。

このテーマの前段で「日本の八月」と題して話そうと思ってます。

今回は、名古屋城のすぐ近くにある愛知懸護國神社にかかわる話しです。

護國神社の現在はもとより、その礎を造った尾張藩主徳川慶勝のことなど、私の持ってる疑問も含めて紹介しようと思ってます。

昨日15日は終戦の日でした。
名鉄瀬戸線大手町で下車し、神社まで歩きました。
それだけで汗びっしょりとなりました。

午後零時、喫茶店でコーヒーを頂いていましたが、5人の仲間とともに表に出て1分間の黙祷をいたしました。

暑い中、多くの人が手を合わせておられました・
夫々に胸中は違うでしょうが、敢えて共通のことを探せば「戦争は絶対避けるべきだ」ということではないでしょうか。

同時に、今享受している平和な日々は、多くの人の犠牲の上に成り立っているということです。

我々は、もっと先人を偲ぶべきだと思います。
そしてそれを、時代にしっかりと伝えていくことが大切です。

昨日の思いを、20日はしっかり伝えたいと思ってます。

posted by 伊藤やすのり at 07:50| Comment(0) | やすのり日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月15日

大人げない

「大人げない」
最近よく感じることです。
そして、ますます「大人げない大人たち」が増えているような気がします。

その代表格が、あの「号泣記者会見の県議」です。
前代未聞と言われていました。

ところが、またまた現れました。
女子中学生とLINEでやり取りし、グループから外される羽目に。
それに怒って脅迫まがいのメールを送るようになったという。

今、丸坊主になっての記者会見が問題を大きくしてます。
(問題というには余りにも次元が低いんですが・・・)

本当に大人げないです。

「大人げない」という言葉、ネットで見てみますと「(大人として)十分な成長の欠如を示すさま」、と意味を説明し、同義語として「思慮がない」「分別がない」を示していました。

他にも「子供っぽい」「他愛もない」「子供染みた」「小便くさい」「稚拙」などの言葉が並んでいました。

こういう大人は現代になって突然現れたわけではありません。
周りを見渡せば、一人や二人はいました。

そういう人たちとも大人の知恵でうまく付き合ってきました。
でも、地域の付き合いも薄れ、そうした人たちの「大人げない言動」が社会的に表面化してきたのではないでしょうか。

特に、公職者は問題です。

先の県議や府議について、彼らに投票した人の責任を問うような発言がありますが、全くお門違いだと思います。
「大人げなさ」を限られた情報で見抜くのは不可能です。

それはむしろ、昔のように「隣近所の人」や「同僚や仲間」が大人に育てていくような社会をつくることの方が大切だと思います。
それは時に、社会罰を伴うことになるかもしれませんが、そうして地域社会の秩序が保たれてきたと思います。

ワイドショーでは視聴率獲得のために、面白可笑しく紹介してますが、このことで国にどんな益があるんでしょうか。
いい加減に気づいてもらわないと、「大人げないテレビ」と言われるのでは?と思ってしまいます。

最後に、8月14日の「産経抄」(産経新聞一面)を紹介します。

《日本社会の幼稚化が、指摘されて久しい。
クレーマーやモンスターペアレントのように、なんでも他人のせいにしたり、すぐに「キレ」たりする大人が増えた。
子供時代は不登校や引きこもり、大人になってからは、出社拒否や「うつ」という形で現れる。
「打たれ弱さ」も目立つ。
危険な薬物への依存症も、深刻な問題だ。

精神科医の片田珠美さんはによると、これらの社会的問題の根源には、同じ病理が横たわっている。
「自分は何でもできる」という幼児的万能感をいつまでも引きずる。
「成熟拒否」の蔓延が、その正体だ。(「一億総ガキ大将社会」光文社新書)》(以下略)

何かをやらなくてはいけませんが、それは何でしょうか・・・。
posted by 伊藤やすのり at 07:39| Comment(0) | やすのり日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月14日

朝のいい話

5月22日から毎週木曜日、地元のFM局で10分間出演しています。
生放送で、「イイ話」を紹介しています。

10分間、パーソナリティーの高橋さんは目の前にいて、大きくうなづいたり相槌は打ってもらってますが、発言はほとんどありません。
従って、」10分間の一人語りです。

ごく小さな出来事を、「いいことですねえ〜」というフィルターを通してお話ししてます。

今朝も話してきました。

今日の内容は、仲間の一人が献身的な活動をすることにより、地域の人たちの心を動かしたという話です。

仲間が一年ほど前から「市民憲章の推進運動」を始めました。
最初は「市民憲章の意味や狙い」などを学習する講座を開きました。

それとは別に、憲章の具体的行動として市内にある児童公園の清掃を思いつきました。

しかしながら実際に行おうとなると大変です。
場所や日程、必要な道具や人手などなど、具体的に始めようとするといくつかのことを乗り越えなくてはなりません。

私にも相談がありましたが、「まずは自分自身から行動を起こすべき・・・」と話しました。

立派なのは自ら一歩を踏み出したことです。

7月の土日の二日間。
両日ともほぼ午前中を公園(深川児童遊園)の清掃に費やしました。
日曜日は私も現場に出かけ、水の差し入れを行い、1時間ほど手伝いました。

たった一人で黙々と草取りをしていて、地域の人が気が付かないはずがありません。

一人、二人と手伝う人が出てきたようです。
更には、公園内にあった花壇の再生を話したところ、町内の人たち何らかの形でかかわろうという動きが出てきたそうです。

地域の皆さん、何かきっかけを待ってみえたようです。

地域の人たちがあまり注目しなかった児童公園が、今、生まれ変わるべく新しい歩みを始めようとしています。

イイ話です。

市民の多くはこういう人だと思います。
それぞれでできる範囲での貢献をしようと考えられています。
要は、その役割がわかり、活動へのきっかけだと思います。

市民憲章も、こういう呼び水(きっかけ)を手掛かりに更なる推進をしていってもらいたいと思ってます。
posted by 伊藤やすのり at 10:39| Comment(0) | やすのり日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月13日

海洋教育の充実

今朝の読売新聞第一面に、「海洋教育を充実」の見出しがあり、学習指導要領が改訂されるとのことです。

先月21日「海の日」に、二つの提言のあることを紹介しました。
一つは、祝日である「海の日」を固定するべきである、というものです。
現在は、ハッピーマンデーという制度のために、7月の第3月曜日が海の日になっています。

国民の祝日をどう考えるか、という問題なんですが、仮にも「国民の祝日」というからには、なぜ祝日なのかを正しく知る必要があります。

国民の祝日というのは、単なる「休日」ではありません。

その理由を正確に伝えるためにも、固定するべきだという考えです。

私もこの考えに賛成です。
(因みに、海の日というのは、明治8年明治天皇が東北巡幸をされたおり、函館港から初めて汽船を利用され、横浜港につかれたのが明治8年7月20日のことから、この日を海の記念日にしたようです。。)

さて、もう一つの提言は、もっと海洋教育に力を注ぐべきだというものです。

この二つの提言は、ずいぶん前から笹川陽平氏(日本財団会長)によって行われていました。

祝日の固定化はまだなっていませんが、「海洋教育の充実」については、ようやく実現しそうです。

考えてみれば、四方海に囲まれ、世界のどの国より海の恵みの恩恵を受けているのは日本です。
その日本の学校教育に「海洋教育」がないこと自体おかしなことです。

昨今、領海、領土の問題がやかましく言われるようになって、重い腰を上げたようなところもありますが、率直に「もっと海洋のこと」を知るべきだと思います。

古き昔をたどれば、数知れない「海の物語」があると思います。

どんな内容になるのか楽しみですが、教育界改革が強く叫ばれている中、ここいらで改めて「小中学校の教育内容」を見直してみる必要がありそうです。

posted by 伊藤やすのり at 11:32| Comment(0) | やすのり日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年08月12日

地球と人

昨日に続いて新聞記事ネタです。

中日新聞の夕刊一面に、「紙つぶて」というコラムがあります。
識者によるリレー掲載なので、取り上げられるテーマは実に広く、それが面白さでもあります。

昨日の夕刊はスケールの大きな内容でした。

今回はボーカリストの鈴木重子さんによるコラムで、テーマは「人と地球は一つの命」というものでした。

「地球全体の生態系バランスと、人の心身のバランスの変化には、重なることがいろいろあります。」
このことが鈴木さんの基本的な認識なんですが、これがあまり一般的ではないように思います。

少なくとも私の周りで、こういう認識をしている人はほとんど見当たりません。

何かの機会に、『(地球の)自然環境を「大宇宙」だとすれば、人間は「小宇宙」なんです』、と言うと、「エッ!そうなんだ・・・」という反応をする人がほとんどです。

私は21歳の時、「道徳科学」を勉強する中でそのことを聞き、とても納得したことを覚えています。

そういう背景があるので、私はこのコラムを好感しました。

鈴木さんは、最近よく言われるようになった「ゲリラ雷雨」(ゲリラ豪雨とも言ってます)という言葉をとりあげ、「ストレスでいっぱいの人が余裕がなくなり、ある日、ちょっとしたことで機嫌を壊してしまう」ことと重ねあわせています。

よく考えてみますと、「ゲリラ雷雨」も「突然の大きな事件」も以前はほとんどなかったように思います。

このこと以外にも地球温暖化が進み、地球全体の生態系バランスが崩れ始めていることなど、結局は自分たち人間に降りかかっているということに恐ろしさを感じると述べています。

読みながら感じたのは、とても高い意識での問題提起だということです。

地球という星の中で、人間という生き物が自分たちの欲を満たすことばかりを進めてきました。

何かで読んだことがあります。
《何世紀か後の人が19世紀、20世紀のことを総括したなら、「地球破壊の世紀」と呼ぶだろう。》と。

ここ何年かの気象の異常、海水温度の変化などによって、日常生活に影響が出ています。
その変化に対し、人は新たな対策を講じようとしている。
そして、どんどん地球が壊れていってます。

その真の原因が「人間の欲望」にあることを早く知って、手を打たねばなりません。

でもそれは容易なことではありません。
その第一歩として、「人と地球は一つの命」ということを理解することではないでしょうか。

コラムの最後にはこう書かれていました。

《人と地球は、分けることのできない、一つの命。

自分や大切な人の心身をいたわるときと同じ思いやりを、この星の自然の全てに向けることができたら、未来を救うために、残された時間を愛おしんで使いたい。

そんな気持ちで歌っています。》

「人と地球は一つの命」
重い言葉です。
posted by 伊藤やすのり at 06:19| Comment(0) | やすのり日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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