2015年04月05日

「一」という言葉

昨日の土曜日、瀬戸木鶏クラブの例会が開催されました。
今回で81回となりました。

いつものように私から挨拶をして始まりました。

最初は「致知」4月号の特集の意図が示されている編集長の文章を輪読します。
今号の特集は「一を抱く」でした。
毎回書かれているものですが、約1400文字位で、特集に対する思いが述べられています。
通称「総リード」と言われています。

さて、この「一」というのがなかなか難しいものです。

一般的に「単位」だと理解しますが、この漢数字は「はじめ」とも読まれ、そんな単純ではありません。

今回の総リードでは、二種類の「一」が書かれていたように思いました。

一つは、明治天皇がつくられた和歌(御製)を引用され、事の本質とか源のような意味で「一」を使われているようです。
つまり、明治21〜2年の頃、日本は西欧から技術文明が怒涛のように入ってきていたようです。
陛下は、全国民が西洋に心を奪われ浮き足立っていることに憂いを持たれた思いを歌に託されたようです。

《日本は日本を日本たらしめているものを見失ってはならぬ・・・明治天皇が抱かれた一とはこれではなかったろうか。》
こんな言葉で説明してありました。

もう一つの話は、裏千家の千玄室宗匠と女優の山本富士子さんの人となりについてです。
(お二人は致知出版社の新春大会で講演をされました。)

このお二人の共通点として「その道一筋」というのがあります。
この「一筋」ということを「一」として使われているようでした。

勉強会での話し合いの中では、「ことの源」について話が集中しました。
国としての源、それは「明治の時代」に形成されたものだったではないでしょうか。

途中から軍国主義がへと舵を切ったのは間違いだったとは思いますが、国の本質(源)にあっては失われていなかったと思います。
それが「教育勅語」だったり、教育システムだったと思います。

なのに、大東亜戦争の敗戦により「すべてを否定」する内容に変わってしまいました。

「もう一度原点にもどろうよ・・・。」
そんなことを確認した例会でした。
posted by 伊藤やすのり at 07:41| Comment(0) | ひとづくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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