2015年02月18日

育てるということ

先日「子育て支援」について書きました。
「地域で子育て支援をしよう・・・」という内容でした。

具体的な施策をいろいろ考えているところですが、コメントもいただきました。

基本的には賛成の立場での意見でした。
ご自身として、『近所の子どもたちで、顔と名前が一致する人数を倍増したい』というコメントでした。
つまり、近所の子どもたちにもっと関心を持とう、というものでした。

町内のお祭りで「子ども獅子」の奉納が各所で行われます。
子どもが主役ですが、その数が減り付き添いの大人が目立つような所が増えています。

地域のひとは、「子どもが少ないなあ・・・」とは言いますが、どこの子どもなのかを知ろうともしません。
いわんや名前など聞くことはしません。

子どもが大勢いた頃の方がもっと関係が濃密だったような気がします。

個人情報の保護とか、安易な声がけはやめようというような風潮があり、子どもに関心を寄せなくなってしまいました。
行き過ぎた個人主義のような気がします。
このことを改善しなければいけないと思っています。

「子どもを地域で育てよう」というのは、何か特別なことをするというわけではありません。
隣近所の子どもたちに関心を寄せることから始めたらいいと思います。

昨日(2月17日)の中日新聞夕刊「紙つぶて」欄に、「育てるということ」ということが述べてありました。
大学で植物や作物を育てておられ、そのことが「子育て」と同じではないかという意見です。

植物や作物を「育てている」という言葉はおこがましいのではないか、という反省にたち、私にできるのは「育ちやすい環境を整え、成長に必要なものを与える」ことだけのことと述べ、「子育ても一緒」ではなかろうかという内容でした。

その通りだと思いました。

子どもが育つ環境というのは、第一に家庭があり次に学校があります。
そしてもう一つ大切な環境が「地域」ではないでしょうか。

親が、先生が、そして地域の大人たちが「子どもたちに関心を寄せ、常に気にかけて見守り続けること」こそが大切だということだと思います。


posted by 伊藤やすのり at 13:41| Comment(2) | ひとづくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
先日、「致知」の2月号を遅ればせながら読みました。先生の対談記事に引かれて読みいりました。そのなかに「目立たない子どもに指導を」というような記事があり、感銘を受けました。私が常々、社員に訓示していることの確信が出来たのです。弊社のスポーツクラブは幼児中心のクラブですが、希望者のみ児童クラスに継続をします。私が現役で指導をしている頃に、園児全体で100名の幼稚園の教室で115名の小学生が通ってきてくれていました。6年生くらいになると、園長先生よりも大きくて、不審者と間違えられそうな勢いです。こうして三才から十二才までの九年間指導したこどもたちが、クラブを修了していきます。習い事ですから、途中で棒をおる子もいれば、他の習い事に変わる子、部活動に専念する子も様々いますが、振り返ってみると、長く指導できる子は、小さい頃、運動が苦手だったり、内向的でぐずぐずしていた子ばかりのような気がします。木枯らし吹くなか、手を握って縄跳びを回してあげたり、ボールつきを手伝ってあげたりした子ばかりのようです。できなかったことが、はじめてできた時に鼻をすすりながら一緒に喜んだ思いでのある子達ばかりです。記事にあるように、手のかかる子を見逃さずに、手間をかけた証が人数に反映したのだと思います。この記事を読んで、また現役に戻りたい気持ちで一杯ですが、次の指導者に伝承していこうと思いました。
Posted by 三岡大 at 2015年03月06日 20:39
三岡さん、コメントをありがとうございました。
多くの子どもさんと接してこられての実感だと思いました。
ぜひ、伝えていって下さい。

これからもよろしくお願いします。
Posted by 伊藤保徳 at 2015年03月08日 05:49
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