2015年04月09日

三つの基本

今、多くの企業で新入社員研修が行われています。
当社でも例年の如く行われていますが、社会人一年生に知ってもらいたいこと、会得してもらいたいことがそれぞれで、内容や進め方はいろいろあるようです。

歴史的にも変化があります。

我社は一時「新入社員訓練」と称し、富士宮にある管理者養成学校の「地獄の訓練」を模した教育訓練をやっていたことがあります。
7〜8年続いたと記憶しています。

内容は「基本動作の徹底」でした。

「キビキビした動作や行動は、ものの考え方までも変える」という考え方でした。

大きな声であいさつをする。
椅子から立つ、座るなど素早く音を立てずに行う。
入退室は会釈とあいさつをする。
会議などのの始まりには全員起立し、「お願いします」とあいさつする。

こうした動作や行動を訓練を通じて会得するのです。

それは今でも残っており、実践されているkととです。

ただ、そのことだけに終始する「新入社員訓練」はなくなり、基本動作の徹底は教育の一部となりました。

昔から継続されていることは「挨拶」と「返事」、それに「ホウ・レン・ソウ」です。
現場における「報告」「連絡」「相談」は特に強調されています。

先日「職場の教養」4月号を見ていて、「三つの基本」という記事を見つけました。

@「おはようございます」と自分から先手であいさつを行う。
A名前を呼ばれたら「ハイ」と心を込めて、感じのいい返事をする。
B「ありがとう」という感謝の心で、全ての後始末をきちんと行う。
とありました。

「挨拶」「返事」「後始末」です。

「後始末」は忘れがちです。

端的な言い方で、基本を徹底したいものです。
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2015年04月06日

学校の再編

文部科学省から小中学校統廃合の方針が示されました。
小中学校の統廃合は少子化傾向が進む中、致し方ないのかもしれないが十分に議論しなければならない問題だと思います。

昨日の中日新聞にも、豊橋総局長の間野さんが意見を述べていました。
(「あいち現場考」欄)
新城市にある連谷小学校の様子と共に、2015年度末に閉校となることに触れ、
《人数が多ければ社会性が付くとは限らない。小規模にも限界はあるが、自分の価値が見い出しづらい社会にあって、一人一人大切に思われていると感じて子どもが育つのなら、小さな学校こそ、今まさに必要ではないか。》と結んでいました。

確かに一理ある意見だと思います。

ただしこれは、「子どもは多くの友達に囲まれて、社会性をつけなければならない」、という小規模校の解消を説く公的文書に反論されているのであり、もっといろいろなことが絡み合っており、それほど単純なものではないと思います。

私はまだ結論を見出してはいませんが、議論の進め方として一つは「子どもを育てる」という視点、もう一つは「学校という施設の存在意義」という二つの視点で議論を深めた方がいいと思っています。

戦後教育を振り返り。
学校での教育のありよう。
家庭(あるいは地域)教育のあり方。
などなど、どんな大人になっていってもらいたいのか。
そんな子育てプランが必要だと思います。

当然のことながら、大人たちの役割も明らかにした方がいいと思います。

また、学校の地域における存在意義や卒業生らの思いも無視できるものではありません。
生まれ育った地域に学校が存在しているからこそ「ふるさと」と言えるのかもしれません。

こうしたことを、ひとつづつ整理し、現代の価値観に移し替えていくことを並行して考えていかねばなりません。

それほど時間があるわけではないと思います。

結論を急がされると思いますが、実のある議論を重ねたいものです。
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2015年04月05日

「一」という言葉

昨日の土曜日、瀬戸木鶏クラブの例会が開催されました。
今回で81回となりました。

いつものように私から挨拶をして始まりました。

最初は「致知」4月号の特集の意図が示されている編集長の文章を輪読します。
今号の特集は「一を抱く」でした。
毎回書かれているものですが、約1400文字位で、特集に対する思いが述べられています。
通称「総リード」と言われています。

さて、この「一」というのがなかなか難しいものです。

一般的に「単位」だと理解しますが、この漢数字は「はじめ」とも読まれ、そんな単純ではありません。

今回の総リードでは、二種類の「一」が書かれていたように思いました。

一つは、明治天皇がつくられた和歌(御製)を引用され、事の本質とか源のような意味で「一」を使われているようです。
つまり、明治21〜2年の頃、日本は西欧から技術文明が怒涛のように入ってきていたようです。
陛下は、全国民が西洋に心を奪われ浮き足立っていることに憂いを持たれた思いを歌に託されたようです。

《日本は日本を日本たらしめているものを見失ってはならぬ・・・明治天皇が抱かれた一とはこれではなかったろうか。》
こんな言葉で説明してありました。

もう一つの話は、裏千家の千玄室宗匠と女優の山本富士子さんの人となりについてです。
(お二人は致知出版社の新春大会で講演をされました。)

このお二人の共通点として「その道一筋」というのがあります。
この「一筋」ということを「一」として使われているようでした。

勉強会での話し合いの中では、「ことの源」について話が集中しました。
国としての源、それは「明治の時代」に形成されたものだったではないでしょうか。

途中から軍国主義がへと舵を切ったのは間違いだったとは思いますが、国の本質(源)にあっては失われていなかったと思います。
それが「教育勅語」だったり、教育システムだったと思います。

なのに、大東亜戦争の敗戦により「すべてを否定」する内容に変わってしまいました。

「もう一度原点にもどろうよ・・・。」
そんなことを確認した例会でした。
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2015年04月04日

大和言葉

《日本語の単語には「大和言葉」「漢語」「外来語」の三種類があり、それらをうまく使いながら会話をしている。》
こんなことを最近知りました。
「大和言葉」というものがあることは知っていましたが、理解は曖昧でした。

外来語も知っていました。
本来は日本語とは言えないですが、一般的に好かわれるようになり「日本語の単語の一つ」として理解されているようです。

この「大和言葉」、現在ブームだそうです。

私は新聞の書籍広告でそれを知りました。
購入しようと思い、広告を切り抜いておきました。
『日本の大和言葉を美しく話す』(高橋こうじ著、東邦出版株式会社)という本の紹介にこんな文章がありました。
《すぐに使える大和言葉を350以上収録。日本人が育んできた知的で優雅な「余韻を残す言葉づかい」が身につく。
ブーム到来で19万部突破!》

気をつけていると、週刊誌でも「特集」をしていました。

この本、先日手に入りました。
購入したわけではありません。
知人が「興味がありそうだから・・・」と、読み終えた本を私にくれました。

日常で、何かを強く意識しているとこういうことが起きるものです。

さて、「大和言葉とは?」ですが、特別な言葉ではないようです。
「大和言葉」と「漢語」の違いは実に簡単で、「訓読み」か「音読み」かの違いです。

今まで意識せずに使っています。

本では冒頭『「大和言葉」は唱歌によく使われている』と紹介されています。
唱歌、「ふるさと」の中に出てくる「山」「川」「ふるさと」というのは大和言葉。
これを漢語で表現すると、「山地」(さんち)、「河川」(かせん)、そして「故郷」(こきょう)というわけです。

大和言葉は「心にしみる特性がある」とも説明しています。

唱歌を歌ったり聞いたりすると「心にしみる」と感じるのは使われている「大和言葉」のせいなんだと改めて感じました。
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2015年03月25日

キャリア教育

10日ほど前の読売新聞で、小中学校のキャリア教育が取り上げられていました。
岐阜市の中学校で実施された「起業家教育」について紹介していました。

内容は、生徒の中から「社長」や「役員」を選んで会社を設立。
自ら地域住民への市場調査や商品開発、宣伝・販売活動、決算などを行う。
というものです。
具体的には、中学生60人が対象で、「手ぬぐい」を「デザインし、販売した」というものです。

本格的だと思ったのは、会社経営をするうえでの資金を保護者などに株式を発行して集め、決算後には株主に配当をしているという点です。

一般的な株式会社と何ら変わるところがありません。
会社設立と会社経営の基本が学ぶことができると思います。

ただ、本当にこうした知識だけでは実社会で通用致しません。

「教育なんだからこの程度でいい」、とする意見もあるでしょうが、教育であるが故に「一通りの体験」だけで済ますべきではないと思っています。

同じやるなら・・・
経営で最も重要なのは「どんな事業をするか?」ということがスタートです。
会社の設立は後のことです。

「会社」のメカニズムを通じ、「モノの生産」とか「お金の流れ」を理解するという教育目標ならこれでいいのかもしれません。
でも、「起業家教育」と言ってるんです。

つまり「事業を興す」ことが主眼ではないでしょうか。
だとすれば、クラス内を二つか三つに分け「事業分野を設定しながら調査をし、事業の目的と内容を明らかにさせていうプロセスを経験すべきだと思います。

「事業」というのは世の中に何らかの形で役立っているから存続しているのであり、世の中に必要とされな「モノやコト」などはあり得ません。

まずは「世の中に必要なこと。求められていること」を知るべきです。
これが事業のスタートです。

子どもらがここから学んでほしいのは、働くというのは、「世のため、人のため」になるということです。
働きに応じて「対価(報酬)」もいただけますが、「お金を儲ける」ことだけを考えるのは間違っている、ということです。

学校の先生方に、こうした指導をお願いするには無理があります。
かといって専門家(会社)に丸投げするのもいかがだと思います。

私は地域に住んでおられる、元会社経営幹部の方々なら十分できるように思います。
講師や内容についてもっと地域を活用すべきだと思っています。

瀬戸市ではキャリア教育を本格的に行われるようになって10年がたちました。
更なる進化をめざし、ただいま来年度以降の計画が検討されているところです。

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2015年03月21日

皆勤賞の意義

昨日は小学校の卒業式がありました。
私の母校である幡山西小学校ではそれに先立ち、3月7日に6年間の皆勤賞表彰が行われました。
今年は三名が受賞しました。
その喜びの声が届きました。

三人それぞれが喜びの気持ちを書き綴っていましたが、一人、「兄が受賞したので僕も頑張りました。」というのがありました。
その当時は3年生。
3年間は意識して学校に通った気持ちがうかがい知れます。

同時に、ご両親や家族が協力したり、時に激励をしたりしたことも想像できます。

私が子供の頃よく言われた言葉があります。
「子どもの仕事は休まず学校に行くことだ」、と。
そして、だれでもいただける可能性のある賞が「皆勤賞」とも言われました。

その皆勤賞、とても意義のあるものだと思っています。

宮城県の方で父兄の発案で皆勤賞が創設されたことを知り、我が母校でもとお願いしました。
あれから8年がたちました。

今年も三人の皆勤賞受賞者の声を聞くことができました。

ぜひ長く続けてもらいたいし、一人でも多くの児童が受賞できるように地域からも応援したいものです。

出席率が最も高い小学校。
こういう小学校を目指してもらいたいものです。

今年の受賞者で次のような文章がありました。(一部抜粋)
《ぼくは学校にいきたくない日はなかったです。
なぜなら、学校が楽しかったからです。
学校にいくと友達がいて、いっしょに遊べるからです。》

わが母校、素晴らしい学校です。
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2015年03月18日

倫理実践体験報告

毎週水曜日は瀬戸旭倫理法人会のモーニングセミナー開催日です。
月4回開催されますが、そのうち1回は会員による「倫理実践体験報告」が予定されています。

他の法人会でも「体験報告」とか「会員スピーチ」とか行われていますが、当会は「一人20分間・レジュメの作成配布」ということになっています。

20分話そうと思うと、それなりの準備が必要です。
その準備の結果が「レジュメ」となるわけです。
登壇する人はなかなか大変です。

この「倫理実践体験報告」というのは、文字通り「純粋倫理を実践し、その結果について報告」しますが、この説明のようにはいきません。

入会し、初めて純粋倫理なるものに触れます。
その内容は驚くほどシンプルで、むしろ「それくらいは知っている」、と感じるものです。
私がそうでした。

ところがその先が難しいのです。
純粋倫理というのは「実践第一」「やってナンボ」という世界です。

「朝目覚めたらすぐに床からでる」という「朝起きの実践」。
「相手より常に先に挨拶する」という「先手挨拶の実践」」など、わかっているけどなかなか実践できません。

ということは、「倫理実践体験」を20分かけて報告するのは難しいことになります。

そこで皆さんが実行されているのが、自身の行動振り返りです。
自己紹介を踏まえ、自身の生活態度を振り返りながら行動の評価をします。

倫理でいうところの好ましい行動がなかなかできていません。
そこで今後「この事を実践します」、という話になります。
ですから、純粋な「実践体験報告」ではありません。

しかしながら、現在の進め方を問題だとは思いません。

一つは、仲間の前で「自身の弱点や問題点をさらすことで素直に近づく」ということです。
もう一つは、自身の行動の中で倫理とは程遠いことの反省と共に、「倫理に適っている行動」も発見されています。
いうなれば学びを通じての「気づき」です。

このことこそがとても重要で、このプロセスを経過して「実践」となるような気がします。

一人でも多くの人に気づいてもらいたいものです。

posted by 伊藤やすのり at 11:48| Comment(0) | ひとづくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

倫理実践体験報告

全国各地に倫理法人会があります。

この法人会、「宗教ですか?」と尋ねられることがあります。
宗教団体ではありません。
社会教育団体だと説明をしています。

人としての生き方。
頭では十分理解できていることばかりですが、それらを学び直し「実践する」ことに重きがおかれています。

つまり、「いいとわかっていたとしても、実践しなければ何も変わらない」ということです。
そして、「自らが変わると決断し、出来ることから実践する」事こそが活動の真髄だと思っています。

瀬戸市には2007年に設立されました。
当初から会員として関わっていますが、5年くらい経ってからわかり始めたいうのが実感です。

活動の中に、「倫理実践体験報告」というのがあります。
会員が自身の倫理実践を披露します。

毎月一回催され、一人20分ほどの「報告」です。
登壇者は一ヶ月ほど前に指名されますので準備の時間はたっぷりあります。
でも、なかなか大変です。

倫理法人会に入会し、あることに気づき実践します。
その体験報告をしますが、本当に「気づいて、実践決意をし実際に実践した」というのは多くいません。

実践するというのは難しいものです。

ではどんな話をするかといえば、「自身の行動を倫理を基準に見なおし、好ましくないことを発表する」ということになります。

人前で、自身の弱さや行き届かないことを率直に語れることは素晴らしいことだと思います。

倫理の勉強を始めた時、「素直になれ」と言われます。
その素直さを具体的に実践することの一つが「弱みをさらす」ことなのかも知れません。

今日のモーニングセミナーでお二人から体験報告を聞きました。

それぞれに思い、悩みながら「何かに気づいた」という内容でした。

自己反省、とても大切なことだと改めて感じています。
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2015年03月17日

不如意に耐える

昨日(3月16日)の産経新聞に、曽野綾子さんの小気味よいエッセイがありました。
「小さな親切大きなお世話」という欄です。

タイトルが《「不如意」に耐える訓練》とあり、はて「不如意」とは?と思いました。
何となく理解している言葉ですが、人に伝えようとするといささか怪しい。
普段使ったことのない言葉ですから余計にです。

辞書で意味を調べる前に読んで理解はできましたし、いつもながら「切り口鮮やか」な内容でした。

さて、「不如意」とは・・・
広辞苑によれば、@思いのままにならないこと。A生計の困難なこと。金の工面がつかないこと。とありました。

曽野さんは、「不如意に耐える訓練」が必要だという主張です。
戦中、戦後に子どもだった世代というのは、ほとんどが貧乏暮らしでした。
まさにその日ぐらしという家族も多かったと思います。
それは、日頃から「不如意に耐えていた」ともいえます。

そしてその「不如意に耐えたこと」により、便利になったことに対し「ありがたみを感じる」気持ちがありました。
ところが現代では・・・ということから「不如意に耐える訓練」という主張になっていました。

言葉は違いますが、今は「我慢をする」という気持ちが無くなってしまったともいわれます。

そこで曽野さんの主張です。
《今の政治と社会は、制度として与える方向に狂奔している。
ちょうどホテルや料亭のサービスが、過剰なほど派手にエスカレートするのと同じで、国民は現在のような程度にせよ生活できることに対する感謝はなくなり、自助努力の部分は減って期待ばかり深まり、最後には諦めるという生の常道も忘れて、強烈な不満だけを残す。》(原文の引用)

指摘の通りです。

求めたりすることが「権利」とばかりの言動があまりにも多いように思います。

やはり社会構造が変わってきている今、変えるべきは「価値観」だと思います。

最後に述べています。
《人手不足で老人も介護サービスを受けられない時代が必ず来るのは目に見えているのに、それに備えなくてどうすのだろう。》(原文引用)

政治も制度も変えなくてはいけません。
でもそれはわれわれ一人ひとりが「自助努力」とか「自立を目指す」という気持ちを確立することが先決だと思います。

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2015年03月11日

人物の研究

今朝のモーニングセミナー、雪の朝とはいえ30人を超える人に集まってもらえました。

このセミナー(倫理法人会の中心的勉強会)は毎週開催されていますが、その内の月一回を私が担当させてもらっています。
勉強になるのは言うまでもありませんが、「同じことを話さない」という自身で縛りをかけており、それなりに苦労をしています。
最近は少しコツのようなものがわかって来て、準備する時間が大幅に少なくなりました。

セミナーでは「理論的な話」というより、「人間学」にまつわる話が中心です。
人がこの世に生を受け、いかに生き抜くのか。
それは「人の道(道理)」に沿った生き方こそが望ましい。
そして、頭で理解するだけでなく、まず実践、まずやってみる・・・というのが倫理法人会の活動理念です。

従って、「実践行動とその結果」という内容ですし、それに自分を重ね合わすことで「学ぶこと、実践すること」が、生活の一部になるような話をさせてもらっています。

その時に、とても効果があると思うことは「人物の研究」です。

今朝の場合は、稲盛和夫氏の話が中心でした。

氏がどういう気持ちで創業され、世襲をされず、自社の経営手法(アメーバ経営)をオープンにしたりされているのはなぜだろう。
そういう気持ちをもって関連初期を読んでみますと、いろいろなことのつながりが見えてきます。

いちばんの繋がりは「根っこの部分」です。
この部分に触れたり、学びを深めたりすることこそが「人物の研究」に他なりません。

そして、その根っこの部分こそが「生き様」だと思います。

言葉を変えていえば「見えない世界」と言えましょう。

こんな風に学びを進めますと、凄い人の共通点として浮かび上がってきます。

活躍された時代が違います。
場所も環境も違います。
にもかかわらず「共通点」があるものです。

伝記を読むのが楽しくなります。
日経の「私の履歴書」が楽しみになります。
それが人物研究であり、「人間学という学び」だと思います。

今朝のセミナーはタイトル(「成功の要諦」)通りというより、稲盛和夫さんの「人物研究」に近い内容になりました。
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2015年03月06日

読書会で学ぶ

先日、知り合いのブログで読書会の楽しさが紹介されていました。
いろいろな本を読み、その感想を述べる。
その感想に対して意見を述べる。

あるいは一冊の本をみんなで読み、その感想を披露しあう。
そして意見を述べ合う。

読書についていろいろな楽しみ方がありますが、「勉強する!」という気持ちが強ければ強いほど長続きしないように思います。

肩に力が入りすぎるのも問題です。
軽い気持ちで参加するのがいいと思っています。

軽い気持ちとか、楽しむ、という気持ちから始まった訳ではないですが、2008年8月に瀬戸木鶏クラブが発足しました。
この「木鶏クラブ」というのは、人間学を学ぶ月刊誌『致知』を教本にして「人間を学ぶ会」です。

発足間もないころは肩に力が入り、まさに「勉強する!」という姿勢でした。
毎月1冊読むわけですが、時に難解な内容もあります。
沢山の記事の中から二、三読んで参加し、その感想を述べ合います。
最後には、出された意見をまとめ、「今日はこんなことを話し合い、こんなことを確認しました」、と結んでいました。
これが代表の仕事でした。

半年くらい経った頃、そうしてまとめることに疑問を感じ始めました。
かといってどうすればいいのかがわかりません。

そして1年ほど経った頃、今後の進め方について話をさせてもらいました。

今回から皆さんの発言内容をまとめるということは致しません。
同じ記事の感想でも各人各様です。
それをまとめてもあまり意味がありません。
むしろ、各人の感想そのものを尊重することによって、各人がそれぞれ気付きや学びをしてもらう方がいいと思う。
ただ、出席者が感想を言っぱなしでは締まりがないので、「全体の感想」を述べて終了にしましょう・・・と。

皆さんの賛同を得て、その時から「まとめない。全体の感想を。」ということを続けています。

開催も6年半を超えました。

勉強会から「読書会」にし、皆の感想から学ぼうという雰囲気になったからだと思います。
私自身は毎回楽しんでいます。
参加者それぞれの印象、感想の違いを楽しんでいます。

今月の瀬戸木鶏クラブは、明日開催されます。
posted by 伊藤やすのり at 11:44| Comment(0) | ひとづくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月05日

テストの利用

子育ての一つに家庭での勉強にどう関わるかということがあります。
口うるさく「勉強しろ!」という親も多いと思いますが、反対に子どもの自主性に任せている親もいます。

どちらがいいか悪いのか。

あまり意味のある議論とは言えません。

今朝拝見したブログに、子どもの勉強に寄り添うお母さんの「気持ち」が書かれていました。
すごくいい感じの内容です。
「テストの反省会」と題したもので、(中間とか期末の)テストが終わると親子で反省会を開かれるそうです。

結果である点数のことはあまりこだわらず、ただ「子どもにテストの感想を発表」させているようです。

まずは結果に対する自身の満足度です。
その満足度にについて「分析」し、あれやこれやと発言するようです。
お母さんは聞くことに徹します。

そしてこの一連の流れを「子どもらは意識せずにPDCAを回しているんです」、と表現されていました。

「PDCA」とは、企業では当たり前に使われている言葉で、一言で言ってしまえば「管理」とか「マネジメント」とか言われています。
「P」は計画、「D」実施、「C」確認、「A」処置(対策)のことで、これを繰り返し活動の質を高めるというものです。

企業ではよく知られていますが、うまく機能しているところはそう多くはないようです。

「テスト反省会」というのは「C」の確認にあたるところです。
つまり、結果について満足ならば「計画と行動」があっていたということであり、結果不満足というのは「計画が悪かったのか(取り組むことが結果に結びつかなかったか)、やろうと思ったけど出来なかったのか、何故できなかったのかをあれこれ考えることなんです。

この考えることに価値を置いていることも素晴らしいと思いました。

子どもが、自分の頭でいろいろ考えます。そして言葉にします。
じっくり聞いていれば、その発言の中に「次はどうしたらいいのか」という対策(つまり「A」)が幾つか入っているものです。

そして自分できめます。
「これからは復習をきちんとやろう」

これに対して親は「賛同し、激励」すればいいと思います。

ブログを拝見しながら、いくつか想像しました。
その想像を加えての紹介でしたが、小学生の親御さんにはぜひ参考にしてもらいたいと思います。

日本の学校教育は、記憶することに重きがおかれます。
でも、人として生き抜いていくには「考える力」が必要ではないでしょうか。

テストを使って「考える訓練」をされているようで、とても素晴らしく思いました。
posted by 伊藤やすのり at 05:49| Comment(0) | ひとづくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月21日

先生の応援団

子育て支援の一つに学校での教育支援があります。

振り返ってみますと、学校教育は昭和40年代になってから変わり始めたように思います。
一番の違いは、先生と生徒がまるで友達関係のようになったことのように思います。
それまでは(私の小学生の頃)は、学校の先生といえばとても偉い方で、地域で一目も二目もおかれる人でした。

それは子どもにとっては怖い存在でもありました。

そしてそのことが日本人の能力を高めていたと思います。
学力だけではなかったようにも思います。

それがだんだんと無くなり、戦後生まれの先生が誕生する頃には、「友達のような先生」が多くを占めるようになりました。
それはそれで特に悪いとは思いませんが、一方で先生への要求が多くなってきたように思います。

現実、教育現場で先生たちはとても多くの仕事抱えています。

昔は部活や課外活動に積極的にかかわっていましたが、今はその時間もとれない先生が多いようです。
とんでもない要求をされる父兄の出現も無関係ではないようです。

子育て支援という点からも、先生には一層の頑張りを期待したいところですが、その前に、先生たちを応援する仕掛けをし、盛り上げることが必要だと思っていました。

今朝の産経新聞に「PTAも先生の応援団」という記事がありました。

産経新聞大阪総局長の丸橋氏の記事です。(「編集日誌」)
今月15日大阪府摂津市で開催された「学校じまん 先生じまん」という、フォーラムが紹介されていました。
このフォーラムは、PTAが中心となって開催されたようで、「モンスターペアレントなど心理的負担が増大する先生たちを後押しする」という意味があるそうです。
このPTAのアイディアに拍手を送りたい・・・と締めくくっていました。

具体的な内容をもっと詳しく知りたいところですが、素晴らしい取り組みだと思います。

これも子育て支援の一つだと思います。
posted by 伊藤やすのり at 07:36| Comment(2) | ひとづくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月18日

育てるということ

先日「子育て支援」について書きました。
「地域で子育て支援をしよう・・・」という内容でした。

具体的な施策をいろいろ考えているところですが、コメントもいただきました。

基本的には賛成の立場での意見でした。
ご自身として、『近所の子どもたちで、顔と名前が一致する人数を倍増したい』というコメントでした。
つまり、近所の子どもたちにもっと関心を持とう、というものでした。

町内のお祭りで「子ども獅子」の奉納が各所で行われます。
子どもが主役ですが、その数が減り付き添いの大人が目立つような所が増えています。

地域のひとは、「子どもが少ないなあ・・・」とは言いますが、どこの子どもなのかを知ろうともしません。
いわんや名前など聞くことはしません。

子どもが大勢いた頃の方がもっと関係が濃密だったような気がします。

個人情報の保護とか、安易な声がけはやめようというような風潮があり、子どもに関心を寄せなくなってしまいました。
行き過ぎた個人主義のような気がします。
このことを改善しなければいけないと思っています。

「子どもを地域で育てよう」というのは、何か特別なことをするというわけではありません。
隣近所の子どもたちに関心を寄せることから始めたらいいと思います。

昨日(2月17日)の中日新聞夕刊「紙つぶて」欄に、「育てるということ」ということが述べてありました。
大学で植物や作物を育てておられ、そのことが「子育て」と同じではないかという意見です。

植物や作物を「育てている」という言葉はおこがましいのではないか、という反省にたち、私にできるのは「育ちやすい環境を整え、成長に必要なものを与える」ことだけのことと述べ、「子育ても一緒」ではなかろうかという内容でした。

その通りだと思いました。

子どもが育つ環境というのは、第一に家庭があり次に学校があります。
そしてもう一つ大切な環境が「地域」ではないでしょうか。

親が、先生が、そして地域の大人たちが「子どもたちに関心を寄せ、常に気にかけて見守り続けること」こそが大切だということだと思います。


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2015年02月12日

おきあがりこぼし

昨日の水曜日、通常なら瀬戸旭倫理法人会のモーニングセミナーでした。
でも、「建国記念の日」であり休日であったこと、加えてモーニングセミナーが節目の350回を迎えるにあたり、来週記念事業を計画したこともあり「休会」でした。

350名の動員を目指すセミナーを計画しており、他の法人会への案内も重要であり、同じ水曜日にセミナーを開催している「稲沢市倫理法人会」に参加させていただきました。

今年から会場が変わりました。
真新しい稲沢商工会議所の2階がその会場でした。

30数名用意された席がほぼ一杯でした「
そして素晴らしい「講話」でした。

講師は松原さんという尼僧さんでした。

「おきあがりこぼし」をご自身の生き様にたとえられました。

「おきあがりこぼし」を調べてみると、正確には「起き上がり小法師」のことで、会津地方に古くから伝わる縁起物、郷土玩具のひとつであること。
倒してもすぐに立ち上がることから、「七転び八起き」の精神を表し、ダルマと同じ構造で、本体中心部におもりが入っている・・・と説明がありました。

講師が鞄から取り出された「おきあがりこぼし」はアンパンマンでした。

ご自身の生き様として、この「おきあがりこぼし」の何とも不安定な様子を「生きる迷い」と説明されました。
つまり、「人間なんだから迷って迷っていいんです」といわれ、大切なのは「元に戻ること」です・・・と。

そこで「元に戻る」「起き上がる」ことについて「おきあがりこぼし」にある「重心(おもり)」にふれ、それこそが「心の拠り所」だと説明されました。

僧侶なので、心の拠り所は「悟り」だという説明があると思っていましたが違いました。
倫理で教えてもらっていることこそが「心の拠り所」である、ということでした。

とても納得のいく説明でした。

自分を磨き、自己成長を目指すというのは「心の拠り所」を持つということ。
それは「おきあがりこぼし」の重心をつくることに他ならない。

そんなことを感じたセミナーでした。
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2015年01月30日

人を大切にする経営

昨年11月のことですが、「人を大切にする経営学会」という名の学会が発足しました。

とても興味がありましたが、ニュースとしてはほとんど取り上げられませんでした。
中日新聞の社説に取り上げられたのが唯一だったかもしれません。

さてこの学会ですが、名称は変わっているものの「日本型の経営」の神髄を研究する会だと思っています。

学会設立の底流にあるものとして、当時(2014年11月2日)の社説で紹介していました。
《会社は社員らの幸せのためにある。
業績はその手段でしかない。
業績が目的になれば社員らは犠牲にされ不幸になる。》

《障害者や女性、高齢者を積極的に雇用したり、人を大切にする会社ほど業績もついてくる。》

この学会設立に中心的役割を果たされたのは、法政大学大学院の坂本光司教授ですが、『日本でいちばん大切にしたい会社』(あさひ出版)の著者としても有名です。
私は昨年、教授の講演を聞き「大反省」をした一人です。

「人を大切にする」
ごく当たり前のことです。
ほとんどの人が「そのとおり!」といいます。

でも、「わかっているけど現実問題として・・・」という人が多くを占めます。

また、
「私(我社)は人を大切にしています。」という人(会社)でも、坂本教授の話を聞くと「やれていると思っていたが中途半端・・・」と反省させられます。

「人を大切にする」ということを徹底的にやりきれていないということです。

このことは「企業経営」だけではなく、人間社会の基本だと思います。

地方行政でも同じことが言えると思います。

今まで行われてきた政策。
これから行われようとしている政策。
これらについて、「人を大切にする」という観点から見た時、どれほどが「そうだ!」といえるでしょうか。

永続に発展し続けていくためにも、不可欠なことだと思います。

posted by 伊藤やすのり at 06:39| Comment(0) | ひとづくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月28日

国語の学び直し

「今の若い者は・・・」
こういうフレーズは大昔からあったようで、いつの時代にも「若い者をたしなめる」ことはあるようです。

この言葉は、大人たちの側に原因があることが少なくありません。
つまり大人たちがキチンと指導育成してこなかった結果なのだと自覚しなければなりません。

最近そう思うようになりました。

科学技術の発達と思に、我々の生活は大変便利になりました。
一昔前なら漫画の世界であったものが現実となっています。
そのこと自体はありがたいことなんですが、失われたもの捨ててしまったモノも多いということに気づかねばなりません。

その一つが日本語による「読み書き」そして「話す」ことではないでしょうか。

今年の初めころ、新聞で曽野綾子さんが述べていました。
『先進的な国家というものは、自国語で「読み書き語る」ことができる人が国民の大部分であるべきはずなのだが、その条件は今の高齢者層が死に絶えると圧が続かない』と。

とても印象的な言葉だったので切り抜いておいた。

つまり、国の伝統とか文化というものは、きちんと受け継ぎ次代に伝えていかねば続きません。

「日本語」も一つの文化といえます。

その日本語が、読むことも書くことも語ることもおかしくなっています。
それを、「今の若い者は・・・」というのは今の大人たちがきちんと受け継ぎ、若い人たちに引き継いでもらうための努力が足りなかったのではないでしょうか。

そんな気がします。

私は国語の学び直しが必要だと思っています。
正しい日本語づかいが本当に分かっているのかを問われると、即座に答えられません。
そういう努力はしているものの、若者たちにキチンと伝えるには十分ではありません。

まずは読むことから。
そして書くこと。

日本語を正しく使って語ることができる。

そういう大人になりたいものです。

 
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2015年01月25日

子育ての支援

「本地の将来を考える会」という会で十数年前から親子農業体験を実施しています。
始めたきっかけは、地域の特徴を生かし住民同士の連帯を深めようということでした。

一年を通して「コメ作り」をしていますが、田植えから稲刈り、そして収穫祭や田んぼを使ってのレンゲ祭りなどを行っています。
この事業を振り返りながら、今後地域の子供たちとどんな関わりができるかと考えています。
それは「子育て全般」を考える機会になりました。

そんな中で、一つのアイディアがでました。

「子どもは地域の宝物、地域で育てるという意識を強く持とう。」
こんな気持ちを共有しながら「子ども会の復活」をしたらどうかという意見が出ました。

本地地域全体を見渡してみて、子ども会活動をしているところは僅かです。
その昔はあったけれどもいつの間にか消滅してしまっています。

その理由はいろいろあるようですが、「運営役員を受けたくない」というのが一番なようです。

そうであるならば、子ども会の運営にまちづくりの団体が関わらせてもらうことで解決できないだろうかという話になりました。

まちづくり活動はイベントなどの企画運営からスタートするケースが多いですが、もっと地域全体を考えた時、そこに住まう住民の要望などに応えていく活動が望まれます。

地域によって当面の課題はいろいろ違うでしょうが、共通的なことは「子育てや介護」に関わることだと思います。
「まちづくりは子育て支援から」あるいは、「まちづくりは介護支援から」ということが言えると思います。

双方とも相手のあることであり、こちらの都合だけで進めることはできません。
まずは話し合いからです。
そして現状認識を統一し、向かうべき方向を共有しなければなりません。

そんな活動をこれからのまちづくりの基本にしてはいかがでしょうか。
posted by 伊藤やすのり at 05:30| Comment(0) | ひとづくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月22日

もっとよく知ろう

新聞のスクラップを整理していて最近感じていることに合致した記事を見つけました。

新聞記事は原則流し読みです。
ただし、興味のあるものはその時切り取ります。
その記事を終日間分をまとめて台紙(コピーの裏紙)に張ります。
こうして溜まったものを一か月毎くらいに再度点検し「資源ゴミ」か「保管資料」に分けています。

新聞から切り取ってから一ヶ月くらい経つと、ほとんどゴミになってしまいます。

中に、捨て難い記事もあり三月半年と手もとにあるものもあります。
そんな中にあった記事です。(2014年9月28日)

産経新聞「解答乱麻」欄でジャーナリストの細川珠生さんが書いていました。

タイトルは『日本のことをもっと知ろう』というもので、日本神話の一部を紹介し、日本人の精神文化の素晴らしさを述べていました。
そして最後に、「先祖とのつながりを自覚することが自己肯定間につながる」、「私たちの始祖に思いを馳せる教育の必要性」を主張されていました。

「よく知る」ということは大切なことです。

先日も書いたように、「従う」ということの第一は知るということです。

人としてこの世に生を受けましたが宇宙のメカニズムには従わねばなりません。
同じように、日本の国民として、瀬戸市の市民として、そして地域や会社の一員として従うべきことがあります。

ではその従うべき対象を「よく知っているか?」となると即座に「ハイッ!」とは言えません。

知ればこそ興味も増します。

郷土愛の醸成もまずはよく知ることだといわれます。

知らなくてはならないことが一杯ありますが、まずは日本のこと、住んでいる町のことをよく知る努力をすべきでしょう。

記事を見てそんな気になりました。
posted by 伊藤やすのり at 07:17| Comment(0) | ひとづくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月21日

くじけない力を養成する

今朝は、瀬戸・旭倫理法人会でモーニングセミナーの講師を担当しました。

朝の時間、45分間の講話ですが何度やっても緊張するものです。
それをほぐすために行っていることは「準備」です。
お話をするネタをなるべく多く用意します。
その中から、実際に話すことは三割程度です。

講話そのものより、そのために準備することでそれまで「ぼんやり思っていたこと」がはっきりしたり、意外な発見があったりして、それなりに楽しんでいます。

今朝のテーマは「堅忍不抜」でした。
人間学を学ぶ月刊誌「致知」1月号の特集テーマです。
ここ数年、「致知」の記事から、自身の体験、そして純粋倫理の実践へと話を展開しています。

今朝は「堅忍不抜」を「強い信念を持つ」、「なすべきことをあきらめない、くじけない」、という風に展開し、最後に「くじけないためには・・・」と、参考資料を配布しました。

この資料の説明はそこそこにし、皆さんに読んでもらうことにしました。

この配布した資料ですが、ずいぶん前に読んだ本からの抜粋です。
(『くじけない力を養う27の法則』チャールズ・C・マンツ著、主婦の友社、2004.4)

「くじけない力を養う」というタイトルで、「失敗」とか「成功」いう言葉の再定義を紹介しました。

一般的には、「失敗」はダメ、「成功」は良いというのがイメージです。
でも、この本では両方ともプラスイメージで捉えること、どんなことでも「行動しなければ成功も失敗もな
い」ということから、「失敗すること」の価値を示していました。

まったくその通りだと思ったので、引用してプリントにしました。

「失敗」の新しい定義とは・・・。
《失敗とは、予想外のことだが、あくまでも一時的なものであり、途中経過に過ぎない。》
私たちは、失敗から次のものを得ることができる。
・成功への足がかり
・学習と成長の機会
・想像力を働かせて変化を起こし、新機軸を打ち出す機会

失敗を受け止め、このように冷静に慣れたとすれば「くじけない」だろうと思いました。

「失敗はしたくないなあ」
これが人情ですが、失敗することも価値(意味)があると思えたならば、それは踏み出す勇気を持ったということかもしれません。

posted by 伊藤やすのり at 10:50| Comment(0) | ひとづくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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