2015年03月18日

倫理実践体験報告

毎週水曜日は瀬戸旭倫理法人会のモーニングセミナー開催日です。
月4回開催されますが、そのうち1回は会員による「倫理実践体験報告」が予定されています。

他の法人会でも「体験報告」とか「会員スピーチ」とか行われていますが、当会は「一人20分間・レジュメの作成配布」ということになっています。

20分話そうと思うと、それなりの準備が必要です。
その準備の結果が「レジュメ」となるわけです。
登壇する人はなかなか大変です。

この「倫理実践体験報告」というのは、文字通り「純粋倫理を実践し、その結果について報告」しますが、この説明のようにはいきません。

入会し、初めて純粋倫理なるものに触れます。
その内容は驚くほどシンプルで、むしろ「それくらいは知っている」、と感じるものです。
私がそうでした。

ところがその先が難しいのです。
純粋倫理というのは「実践第一」「やってナンボ」という世界です。

「朝目覚めたらすぐに床からでる」という「朝起きの実践」。
「相手より常に先に挨拶する」という「先手挨拶の実践」」など、わかっているけどなかなか実践できません。

ということは、「倫理実践体験」を20分かけて報告するのは難しいことになります。

そこで皆さんが実行されているのが、自身の行動振り返りです。
自己紹介を踏まえ、自身の生活態度を振り返りながら行動の評価をします。

倫理でいうところの好ましい行動がなかなかできていません。
そこで今後「この事を実践します」、という話になります。
ですから、純粋な「実践体験報告」ではありません。

しかしながら、現在の進め方を問題だとは思いません。

一つは、仲間の前で「自身の弱点や問題点をさらすことで素直に近づく」ということです。
もう一つは、自身の行動の中で倫理とは程遠いことの反省と共に、「倫理に適っている行動」も発見されています。
いうなれば学びを通じての「気づき」です。

このことこそがとても重要で、このプロセスを経過して「実践」となるような気がします。

一人でも多くの人に気づいてもらいたいものです。

posted by 伊藤やすのり at 11:48| Comment(0) | ひとづくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

倫理実践体験報告

全国各地に倫理法人会があります。

この法人会、「宗教ですか?」と尋ねられることがあります。
宗教団体ではありません。
社会教育団体だと説明をしています。

人としての生き方。
頭では十分理解できていることばかりですが、それらを学び直し「実践する」ことに重きがおかれています。

つまり、「いいとわかっていたとしても、実践しなければ何も変わらない」ということです。
そして、「自らが変わると決断し、出来ることから実践する」事こそが活動の真髄だと思っています。

瀬戸市には2007年に設立されました。
当初から会員として関わっていますが、5年くらい経ってからわかり始めたいうのが実感です。

活動の中に、「倫理実践体験報告」というのがあります。
会員が自身の倫理実践を披露します。

毎月一回催され、一人20分ほどの「報告」です。
登壇者は一ヶ月ほど前に指名されますので準備の時間はたっぷりあります。
でも、なかなか大変です。

倫理法人会に入会し、あることに気づき実践します。
その体験報告をしますが、本当に「気づいて、実践決意をし実際に実践した」というのは多くいません。

実践するというのは難しいものです。

ではどんな話をするかといえば、「自身の行動を倫理を基準に見なおし、好ましくないことを発表する」ということになります。

人前で、自身の弱さや行き届かないことを率直に語れることは素晴らしいことだと思います。

倫理の勉強を始めた時、「素直になれ」と言われます。
その素直さを具体的に実践することの一つが「弱みをさらす」ことなのかも知れません。

今日のモーニングセミナーでお二人から体験報告を聞きました。

それぞれに思い、悩みながら「何かに気づいた」という内容でした。

自己反省、とても大切なことだと改めて感じています。
posted by 伊藤やすのり at 06:52| Comment(0) | ひとづくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月17日

不如意に耐える

昨日(3月16日)の産経新聞に、曽野綾子さんの小気味よいエッセイがありました。
「小さな親切大きなお世話」という欄です。

タイトルが《「不如意」に耐える訓練》とあり、はて「不如意」とは?と思いました。
何となく理解している言葉ですが、人に伝えようとするといささか怪しい。
普段使ったことのない言葉ですから余計にです。

辞書で意味を調べる前に読んで理解はできましたし、いつもながら「切り口鮮やか」な内容でした。

さて、「不如意」とは・・・
広辞苑によれば、@思いのままにならないこと。A生計の困難なこと。金の工面がつかないこと。とありました。

曽野さんは、「不如意に耐える訓練」が必要だという主張です。
戦中、戦後に子どもだった世代というのは、ほとんどが貧乏暮らしでした。
まさにその日ぐらしという家族も多かったと思います。
それは、日頃から「不如意に耐えていた」ともいえます。

そしてその「不如意に耐えたこと」により、便利になったことに対し「ありがたみを感じる」気持ちがありました。
ところが現代では・・・ということから「不如意に耐える訓練」という主張になっていました。

言葉は違いますが、今は「我慢をする」という気持ちが無くなってしまったともいわれます。

そこで曽野さんの主張です。
《今の政治と社会は、制度として与える方向に狂奔している。
ちょうどホテルや料亭のサービスが、過剰なほど派手にエスカレートするのと同じで、国民は現在のような程度にせよ生活できることに対する感謝はなくなり、自助努力の部分は減って期待ばかり深まり、最後には諦めるという生の常道も忘れて、強烈な不満だけを残す。》(原文の引用)

指摘の通りです。

求めたりすることが「権利」とばかりの言動があまりにも多いように思います。

やはり社会構造が変わってきている今、変えるべきは「価値観」だと思います。

最後に述べています。
《人手不足で老人も介護サービスを受けられない時代が必ず来るのは目に見えているのに、それに備えなくてどうすのだろう。》(原文引用)

政治も制度も変えなくてはいけません。
でもそれはわれわれ一人ひとりが「自助努力」とか「自立を目指す」という気持ちを確立することが先決だと思います。

posted by 伊藤やすのり at 06:15| Comment(0) | ひとづくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月16日

愛国心はけしからん?

昨日の産経新聞です。
「解答乱麻」欄で、『「愛国心」はけしからん?』という見出しがありました。

これは、道徳の教科化をめぐり文部化科省が公表した「学習指導要領(案)』に対するパブリックコメントについての論評記事でした。
貝塚茂樹氏(武蔵野大教授)の主張ですが、「愛国心はけしからん」と言っているが、本当に意味が分かっていっているのか、というパブリックコメントへの批判でした。

私は貝塚教授の意見に賛成です。

寄せられたコメントも、何か意図が感じられるとし、次のように述べています。
《道徳の教科化をめぐって文部科学省は、さる2月に「学習指導要領(案)」を公表し、広くパブリックコメントを求めた。
これに合わせて複数の新聞、テレビは教科化への危惧を前面に押し出した報道を行い、インターネットでは、パブリックコメントに教科化を反対を促す呼びかけが繰り返された。

特に小学校低学年で「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つこと」が加えられたことに激しい批判が向けられた。
低学年から「愛国心」を教えるのはけしからん、ということのようだ。》(以上原文引用)

「価値観の押しつけがけしからん」と言っているようですが、これをやらなかったから今日の日本の現状があるのではないでしょうか。
「我が国の郷土や文化と生活に親しむこと」「愛着を持つこと」にどんな問題があるというのでしょうか。
国民として、最も基本的な「価値観」だと思うし、それを低学年から教えることは当たり前の「躾」だと思います。

「愛国心」について、改めて考える機会です。

貝塚教授が述べています。
「愛国心とは何か」を。

戦後日本では「愛国心」は常にタブー視されてきました。
中でも教育界は顕著でした。
国家を否定することが「いつか来た道」へ進まないという言説が一般的でした。

でも、そうではありません。
愛国心というのは「我が国の歴史への共感」から醸し出されるものだという説明です。
これもまた私は共感しました。

《本来「愛国心」とは、決して自国の正しさや美点のみを強調することではなく、「日本の過去に生きた人々の様々な事業や苦難や幸福や不幸や、さらには、それに書した精神の構えへの『共感』のなかからうまれる」はずのものである。》(坂本多加雄氏の論)

歴史をきちんと勉強する。
歴史上の人物から生き方を学ぶ。
こうしたことが基本にあり、それら全てに共感することで愛国心が生まれるとすれば、単に「道徳の教科化」を各論的に論じることが適切ではないかもしれません。

国民としてのあり方を、もっと素直に考えたらそれほど難しい問題とは思えません。
posted by 伊藤やすのり at 05:53| Comment(1) | やすのり日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月15日

平和の俳句

3月14日の中日新聞に、「平和の俳句」が180句1ページ全面に掲載されていました。

普段、あまり親しむことがなくしっかり見たこともないが、さすがに1ページ全面とは迫力があります。
月間優秀作とのことで、中日新聞名古屋本社発行エリアから寄せられた作品から選ばれたそうです。

まず気が付くことは、選ばれた人の年齢が7〜80歳が中心だということです。
戦後70年ですが、戦中生まれの方が多いということです。

次に感じたのは、「戦時中に使われた言葉」が目につきました。

「予科練」「焼夷弾」「軍用機」「教科書黒塗り」「国防色」「学徒出陣」
これらの言葉、今や知らない人の方が多いかもしれません。
でも、間違いなくわが国の歴史の1ページであり、後世に伝えていくべきだと思います。

「原爆」とか「九条」という言葉も目に付きました。

戦争は悲惨なもので、あって欲しくないというのは万人の願いです。

日本では70年間戦争が起きていま戦死、直接的に巻き込まれてもいません。
でも、世界を見渡すとどここで戦火にさらされている人々がいます。

こういう現実を私たちはどう考えたらいいのでしょうか。

私は「平和の俳句」を一通り拝見し思いました。
一つは、悲惨な戦争を起こさないためにも、経験した事実をキチンと後世に伝えていくこと、です。
そしてもう一つは、私たちの日々の生き方を見直しことです。

「戦争反対!」とか「九条を守れ!」と声高に叫ぶ前に、平和に暮らせていることへの「感謝」をすべきだと思います。
そして、日々の暮らしの中で「平和であり続ける心構え」を持つべきではないでしょうか。

今回の「平和の俳句」の中で、こういう心もちが必要だという句を見つけました。

「微笑んで 心の平和 初あかり」
(各務原市)石永 聖子さん(70)

「敬って 労わりあって 日々平和」
(稲沢市) 野内 正義さん(73)

「笑顔で暮らす」
「相手を敬う、いたわり合う」
とても重要なことです。

日常、心したいものです。
posted by 伊藤やすのり at 08:14| Comment(0) | やすのり日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月14日

職場が暗い

昨日、とある地区でミニ集会を開催しました。
その時、意見として「職場が暗い」という話がありました。

発言した方は、具体的な会社を示されましたが一般的に「職場が暗い」というのは沢山の問題を含んでいると思います。

職場が「明るい」とか、「暗い」というのは客観的な基準があって言われるのではなく、いわゆる「感覚的」です。
主観的なので、人それぞれかと思いきやそれが違います。

「あの職場って暗いねえ・・・」
という発言に、その職場を知っている人ならほとんどの人が「そうだ、そうだ」と同意します。
つまり、「暗いと感じる職場」というのは、程度の差はあるものの、ほとんどの人が「同じ印象」を持つのではないでしょうか。
第一印象で決まるからかもしれません。

それが案外的確で、無気力な仕事ぶりでミスが多く、低い生産性につながっています。

そこで、「どんなことを見て《暗い》と感じましたか?」と訊ねるといろいろなことが出てきます。
「暗さの要因」と言っていいと思います。

・働いている人に覇気がない。
・声が小さく聞き取りにくい。
・返事をしない。
・動作がノロノロしている。
・整理整頓が行き届いていない。

「暗さの要因」は、そこで働く人たちがつくっているといえます。
問題は、そこにいる人たちはそういうことを強く認識していないということです。
状況に埋没してしまっているといっていいのではないでしょうか。

「職場が暗い」
当事者は案外知らないものだと思います。

「職場が暗いよ・・・」と言ってあげるだけで改善されるかもしれません。
職場の一人が気付き、当たり前のこと当たり前に行うようになれば変わるかもしれません。

「先手の挨拶」
「間髪入れないハイ!という返事」
「基本動作の実践」
これだけ実践するだけで随分変わります。

明るい職場にしたいものです。
posted by 伊藤やすのり at 06:19| Comment(0) | やすのり日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月12日

美しい言葉

一般社団法人倫理研究所が毎月発行している「職場の教養」という小冊子、私は手許においていつでも見ることができるようにしています。

毎日違った内容で、「今日の心がけ」が標語的に示してあり、朝、目を通すと効果的だと思っています。

さて、その職場の教養の今日3月12日は「左様ならば」というテーマの話です。
「何のことなのか?」と思いましたが、「左様ならば」というのは「さようなら」の語源であるという内容です。

昭和の初期、著名な飛行家であるチャールズ・リンドバーク夫妻が来日された時のこと、夫人のアン・モローさんが日本語の別れの挨拶「さようなら」という言葉に感銘を受けたといいます。

「左様ならば」「そういうことであるならば」「ほんとうは別れたくないけれど、どうしてもそうならなければならいのならば」というのが語源であることをしり、「これまで耳にした別れの言葉のうちで、このように美しい言葉を私は知らない」と、後に著書でつづられたとのことです。

日本語はとても美しいと思っています。

日本文化を代表するものでもあります。

ところが、(私の周りにいる)日本人はあまり日本語を大切にしていません。
とても残念なことです。

私も正しい日本語についてよくわかっているわけではありません。
ただ、季節の移り変わりや人の情感の表現が、実に多様で豊かな表現や言い回しのあることを意識するようにはしています。

手許には、日本語に関する本も5冊ほどあります。

日本文化の核ともいえる日本語を正しく使う運動を起こしたいものです。

「言葉の種類や表現の仕方」を求めるだけではなく、「語源」を知ることも大切なことだと思います。
posted by 伊藤やすのり at 05:25| Comment(0) | やすのり日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月11日

人物の研究

今朝のモーニングセミナー、雪の朝とはいえ30人を超える人に集まってもらえました。

このセミナー(倫理法人会の中心的勉強会)は毎週開催されていますが、その内の月一回を私が担当させてもらっています。
勉強になるのは言うまでもありませんが、「同じことを話さない」という自身で縛りをかけており、それなりに苦労をしています。
最近は少しコツのようなものがわかって来て、準備する時間が大幅に少なくなりました。

セミナーでは「理論的な話」というより、「人間学」にまつわる話が中心です。
人がこの世に生を受け、いかに生き抜くのか。
それは「人の道(道理)」に沿った生き方こそが望ましい。
そして、頭で理解するだけでなく、まず実践、まずやってみる・・・というのが倫理法人会の活動理念です。

従って、「実践行動とその結果」という内容ですし、それに自分を重ね合わすことで「学ぶこと、実践すること」が、生活の一部になるような話をさせてもらっています。

その時に、とても効果があると思うことは「人物の研究」です。

今朝の場合は、稲盛和夫氏の話が中心でした。

氏がどういう気持ちで創業され、世襲をされず、自社の経営手法(アメーバ経営)をオープンにしたりされているのはなぜだろう。
そういう気持ちをもって関連初期を読んでみますと、いろいろなことのつながりが見えてきます。

いちばんの繋がりは「根っこの部分」です。
この部分に触れたり、学びを深めたりすることこそが「人物の研究」に他なりません。

そして、その根っこの部分こそが「生き様」だと思います。

言葉を変えていえば「見えない世界」と言えましょう。

こんな風に学びを進めますと、凄い人の共通点として浮かび上がってきます。

活躍された時代が違います。
場所も環境も違います。
にもかかわらず「共通点」があるものです。

伝記を読むのが楽しくなります。
日経の「私の履歴書」が楽しみになります。
それが人物研究であり、「人間学という学び」だと思います。

今朝のセミナーはタイトル(「成功の要諦」)通りというより、稲盛和夫さんの「人物研究」に近い内容になりました。
posted by 伊藤やすのり at 10:57| Comment(0) | ひとづくり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月10日

気持ち一つに

毎朝ブログを更新していますが、その内容は準備したモノはほとんどありません。
かといって、毎日溢れるほどの話題があるわけでもありません。

まずはネットでニュースを見ます。
次に見るのが「今日は何の日」というサイトです。
毎日が何かの記念日になっています。

こんなことをしながら更新内容を思いめぐらせタイトルを決めます。

今朝は「今日は何の日」から思い出の一つを書いてみます。

1975(昭和50)年3月10日。
この日は東海道・山陽新幹線の全線が開通した日です。
東京から博多までの開通です。

一見希望に満ちたニュースでしたが、日本の産業界は苦しみのどん底にありました。
それは、1973(昭和48)年に起きた「オイルショック」の影響があまりにも大きく、立ち直りの兆しすら見えなかったころです。

74年から75年にかけて、各企業はもっぱら「出を制す」を行いました。
徹底的な経費削減です。
我社も合理化、経費の削減を徹底的に進めていました。
ただ、売上げがオイルショックの影響で三分の一減ってしまい、小手先の対策ではにっちもさっちもいかない状況でした。

その当時の社長は二代目で、創業者からバトンを受け15〜6年経っていたと思います。

経営的にはとても厳しい状況でしたが、消極的になるのではなく常に前向きで挑戦的でした。

象徴的だったのが「教育訓練」です。
規律を重んじ、きびきびした行動をとる。
当時の教育訓練が懐かしくお思い出されます。

今思えば、危機を乗り越えられたのは「教育で気持ちが一つ」になったからだと思います。

新幹線が開通したのに、経費削減で「それより安い移動手段」を探しながらの出張が思い出されます。
posted by 伊藤やすのり at 06:16| Comment(0) | やすのり日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年03月09日

課題を共有する

昨日「瀬戸市民言論広場」という集まりに参加しました。

ちょっと堅そうなイメージがしますが、「集団で何かを行う」とか、「まちづくりをどうするか」とかを考える際にとても大切なことを学んできました。

それは「課題」を共有するということです。

その前提として「課題というのは何か?」ということを明らかにしておくことが大切です。

「課題」というのは「解決すべき問題」だと理解しています。
そして、「問題」というのは「ある基準とのギャップ」です。
実は、この「ある基準」というのが曲者で、いろいろ存在するために「いろいろな問題」が存在します。

基準というのが「自己基準」という、自身の価値観といったものから「規則、ルール」といった公のものまであります。
公の基準以外は明文化されていませんので、「人によって問題が違う」ということになります。
当然といえば当然です。

こうしたことを認識しておけば実にスムーズに会話が進みます。
会話が成立するというのはこういうことをいいのだと思います。

さて問題の意味が共有できたところでそれが解決すべきことかどうか、つまり「課題」となりうるかどうかということになります。
「課題の創造」という言い方をしたりします。

指摘された「問題」は、どんな悪さ加減があるかということです。
問題を放置しておくことによって発生しうる「マイナスな事柄」をはっきり認識しておく必要があります。

このことをはっきりさせることこそが、課題として認識するポイントだと思うし、効果的な対策を考える上でもとても重要です。

こうした「考える過程」を再確認する機会でもありました。

何が問題なのか。
そしてそれは課題であるか。(つまり悪さ加減が明確に認識されているか。)

こんなやり取りがあり「共有する課題」が明らかになりました。

初めての会合でもあり、参加者の戸惑いもありましたが改めて課題の共有が重要であることを感じました。

会社、団体など、あらゆる組織において「協力一致」できているというのは、メンバーが「課題を共有しその解決(対策)行動の足並みがそろっている」ことをいうのだと思います。

posted by 伊藤やすのり at 05:34| Comment(0) | やすのり日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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